2005年2月27日  大斎節第3主日 (A年)


司祭 エリシャ 富田正通

教会は、温かくてほっとするぬくもりの有るところ

 最近、1970年代の歌が流行ってきました。今の歌とはちがって、作詞や作曲を含めた製作者の意気込みがちがう、作りがちがうなどと、いろんな解説がされています。プロの立場からは論評もたくさんあるでしょうが、私はなにかほっとするのです。それと若かった青春のひとコマが歌と共によみがえって、口ずさむと自分が若くなったような錯覚に浸れます。なによりも、古い歌を歌ってと馬鹿にされないのがいいですね。気兼ねなしに自分が癒される。そんな気がするのです。
 レコードも復活してきたようですね。デジタルのクリアーなギンギラした音でなく、柔らかな深みのある音。音楽をじっくりと楽しみながら、音楽によって活かされていくような、そんな感覚が再び求められている気がしています。
1970年代は、4ビートから、8ビートに変わる時でした。4ビートのゆったりした音の空間を埋めるように、次々といろんな音が入ってきて、ビートが利いてきたなと感じたりもしましたが、音のまが無くなりました。音楽を聴いてイメージを膨らませるよりも、演奏者のメッセージが一方的に迫ってくるように感じました。今は16ビートでしょうか32ビートでしょうか。演奏者に共感出来れば良いのですが、圧倒的な力で押し倒されそうです。
 1970年代の歌によって自分を取り戻す、見失ってきた魂を生き返らせたい。そんな思いを感じます。それにぴったりなのが教会音楽でしょう。歌詞を大切にした歌、歌詞の意味をかみしめながらみんなで歌う歌はすばらしいものです。心を高揚させる歌、感謝や賛美をささげる歌、静かに黙想へと導く歌など豊かな内容です。
 話は変わりますが、礼拝堂の照明はどうしてタングステンライトが多いのでしょう。福井の教会は全部がそうです。照明の工事をするとき蛍光灯も考えたのですが、止めました。合わないのです。冷たい光ですね。私たちは科学を発達させる過程で、効率よくをモットーにしてきました。効率の良い照明とは、熱をすべて光に変えることです。光から熱を取り去ることです。イエス様の時代の照明は魚油などを燃やしていました。光より熱が多い照明です。お湯も沸かせたでしょう。暗いけれど光と同時に周りを暖かくする光でした。イエス様は、この光をさして「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5:14)とおっしゃいました。続いて16節に「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々があなたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」の光は、蛍光灯や発光ダイオードの光ではなく、暖かさを伴った光です。暖かな光が似合う場所、それが礼拝堂であり教会です。大斎始日に読まれるイザヤ書の趣旨は、断食とは食を断つことではなく、貧しい人々や周囲の人に慈愛の手を差し伸べることです。
 暖かさを伴った光を輝かせている世界、それが教会です。
 でも、魚油には戻れません。タングステンライトは4ビートから8ビートに移行する4ビートの曲でしょうか。