司祭 テモテ 宮嶋 眞
ヨセフの喜び
いよいよクリスマスが近づいてきました。イエス・キリスト誕生のクリスマスに先立って、当然ですがその母マリアがイエスを身ごもるという出来事が起こります。
この母マリアの妊娠に関して、マタイによる福音書は、次のように記しています。
「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」(1章18節)
今でこそ、結婚前の妊娠に対する見方が少し変わってきましたが、以前の日本ですら、未婚の母などといわれ、偏見にさらされていたのですから、まして2000年前、ユダヤ教の掟が厳しい中で、このことが人々に知られたときにマリアはどのように扱われたのでしょうか。婚約中の女性が妊娠したときの掟というものが、あったかどうか定かではありませんが、少なくとも夫を裏切った女性は死罪と定められていました。マリアにとっては想像するだけでも恐ろしい大変な出来事が起こったのです。
「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(同、19節)
夫のヨセフは「正しい人」であったという。これは、彼がユダヤ教の掟を守り、神の前に正しく生きようとしていたことを意味します。人々からの信頼と尊敬を受けていたヨセフの生き方でした。この正しさを貫くためには、婚約を解消するほかはないとヨセフは考えました。おそらく、ヨセフは一晩寝ずに、あれこれと考えたことでしょう。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。(同20〜25節)
この一夜の出来事は、ヨセフの夢のうちに起こったこととされています。結論として、ヨセフは「正しさ」を求める代わりに、マリアと、その胎にある赤ちゃんの命を守ることを選んだのでした。自分がユダヤ教の掟を守る正しさを選んで、マリアとの婚約を解消したときには、彼女と赤ちゃんは路頭に迷うことになる。しかも婚約中の夫を裏切った女性という烙印を押されて、殺されることになる。そのようにしてまで求める「正しさ」とは一体何なのか? 婚約者が妊娠したことで、世間は、自分や、マリアに対してどのような評価を下すのか。今まで築いた正しい人ヨセフという信頼と尊敬を失うことになろう。しかしそれでも、マリアと幼子を捨てることはできない。ヨセフは自分に与えられた神さまからの使命としてこのことを受け取りました。
クリスマスには、特に幼子イエスと、その母マリアに光が当てられるのですが、この妊娠・出産を見守り、支えた夫ヨセフの働きもまた、大切な役割だったのではないかと思います。聖書の中にはこのほかには見るべき働きを記されていない夫ヨセフですが、しかし、まさにこのことにおいて、彼は神さまの救いの働きのとても大切な一端を担う「喜び」を与えられたのです。