司祭 ヨブ 楠本良招
「目を覚ましていなさい」
私が神学生の頃、日本キリスト教団で著名な人のクリスマス伝道集会があり、同級生と二人で出席しました。少し遅れたので、一番前の席しか空いていませんでした。そこに座り話に聞き入りました。題は同じ「目を覚ましていなさい」でした。説教が始まりましたが、実に長かったのです。聖公会の説教のように短かくなく、講演会のようでした。同級生はうとうとしてしまいました。「目を覚ませ」と何回も同じ言葉を繰りかえしていました。彼は一番前で眠っていたので、私は彼の肩に手を置いてゆすりました。やっと目が覚めてそれから話を聞くことができました。なんとなく皮肉めいた思い出話です。
降臨節第1主日からA年に入ります。神の国の到来が告げられています。ノアの箱舟について語られ、ノアが箱舟に入るまで、他の人が洪水に襲われ滅ぼされた時まで、誰も気づかなかったこと。人の子の到来も突然であるとイエス様は警告を発しておられます。誰もその日がいつ起こるか誰も知らないと言われています。聖書のどこにも終末が何月何日だとは記されていません。
さて、ものみの塔(タワー・ウオッチィング)は終末の月日を予言しています。しかし現実には彼らの終末の予言は実現しませんでした。彼らは人を惑わす書籍を販売し、教会にも論争しに来ています。また各家庭を訪問販売しています。あるいは統一神霊協会(統一教会とも言う)は霊感商法で、所かまわず販売しています。彼らの統一教会用の聖書は、最後のメシアは文鮮明との名前が登場します。彼らの聖書ではイエス様は預言者の一人とでしか描かれていません。私たちのキリスト教会を攻撃の対象とでしか見ていません。印鑑,壷商法、珍味売り、自動車につるすマスコット人形売り、難民救済の家庭訪問募金などがあります。注意しなくてはなりません。
「御父も御子もおられます。この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。」(ヨハネの手紙U9〜10節)
さまざまな諸問題がありますが、神様によって心と魂を強くして頂きましょう。
地上の苦難、にせ預言書の出現、混乱、苦難の到来は、全て神の国の到来の近さのしるしです。聖書には神の到来の「近さ」だけが語られています。いかなる地上の災厄にも必ず終わりがあります。しかし、主の来臨の日や時を私たちの側で計算することはできません。計算できることは、人間に属することです。永遠の御国の来臨を、人は計算できません。たとえば人の死もそうです。老いて衰えを覚えます時、人は自分の死の近いことを知ります。逆に健康に恵まれ、若さを誇り、自分の死は遠いと考えたとしても、いつであるかは神のみが知っておられます。だから、神の近さを知って、「たえず目を覚ましていなさい」とのみ言葉を思い、私たちは信仰生活を送っていきたいものです。ノアの洪水のように、キリストの再臨はいつ起こるかも知れない。主の御降誕を迎える準備が始まりました。いつも心の目を覚まして、主がいつ再臨されてもよいように心の備えをしていきたい。