2004年9月5日  聖霊降臨後第14主日 (C年)


司祭 ミカエル 藤原健久

覚悟を決める

 「自分の持ち物を一切捨てないならば・・・私の弟子ではありえない」(ルカ14:33)。このみ言葉を聞くとき、私たちはドキリとする。自分の有り様が問われているのを感じる。イエス様の教えははっきりしている。オール・オア・ナッシングのように、はっきりしている。しかし私たちは、この教えから、過激な行動には移らない。過激派は、神の教えに対し、早急に、極端に反応することを求める。しかしイエス様は逆のことを命じられる。「まず、腰をすえて考えろ。」イエス様は私たちに、「すべてを捨てろ」という教えを、ゆっくりじっくりと、実行することを求められる。
 「大勢の群衆が一緒について来た」とある。これはイエス様の旅の途中の話である。旅の行き先はエルサレム。人々は「何かを得るために」旅に出たのかもしれない。エルサレムでイエス様が王となり、自分たちも王様の元で利益を得ようと。しかし、イエス様は、「すべてを捨てるために」旅に出られたのだった。旅の途上で、お金も体力も人々からの信用も捨て、そして最後には、十字架上で自分の命を捨てるために旅を続けられる。イエス様は共に旅をする人々に、方向変換させるため、教えられたのである。
 「すべてを捨てる」のは、捨てることが目的ではない。隣人を愛することが目的である。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)。旅路は2つに分かれている。自分を捨て、隣人を愛する道と、欲望の道と。真の救いがどちらの道にあるかは、言わずとも分かるだろう。
 「あなたは何者か」「あなたは今まで何をしてきたのか」と問われる時、ほとんどの人が、何もしていない自分を告白せざるを得ない。しかし「これからどう生きるのか」「どちらの道を歩むのか」については、今、この時に、はっきりと答えることができる。もちろん、愛の道を歩むのである。ただし、覚悟が必要である。同時に違う道を歩むことはできない。今は何もできていない。しかし歩む方向は決まった。私たちは、この道を、ゆっくりとじっくりと、穏やかにほほえみながら、しかし覚悟を決めて、歩んで行く。