司祭 イザヤ 浦地洪一
「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。」
「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と
対立して分かれるからである。
父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる。」(ルカによる福音書12:51〜53)
8月には、私にとって忘れられないことがいっぱいある月です。大学4回生の夏、神学校へ行くように勧められ、ひそかに決心しかけていました。ある夜、父から就職はどうするのかと尋ねられ、隠しきれなくなくなって、「神学校へ行きたい」と言いました。4人兄弟の長男で、家は貧乏でした。父は、長男がなんとか学校を卒業するので、家計を助けてくれると思っていたに違いありません。何がなんでも反対、絶対にゆるさないと言い張り、口論し、最後には、どうしても自分の意志を通すというのなら、家を出ていけ、勘当すると言い出しました。そして、8月末までと日を切られ、自分の荷物を持って出て行けと言い渡されました。
毎日、父は荒れ狂い、母は間に立っておろおろし、妹や弟たちは泣き叫ぶ。私が神学校へ行くと言い出してからは、家の中は真っ暗になってしまいました。団らんはなくなりましたし、笑い声も話し声もなくなりました。不思議なことに、父が反対すればするほど、はじめはあいまいだった神学校へ行きたいという決心が強くなっていきました。父が怒鳴っている時には沈黙でやり過ごし、辛抱できたのですが、夜中に目をさますと、開け放した襖の向こうの部屋で、やはり眠れないのか、父が布団の上に座っていつまでも腕を組んで考えこんでいる父の姿を、暗闇の中に見えるのはほんとうにつらかったことを覚えています。
8月31日の2日前、自分の持ち物の整理をしている私のところへ、父が来て、「いろいろな人に相談してみたが、どんなことがあっても、やっぱり自分が決めた道を行くのがいちばんいいみたいだなあ」と言って許してくれた。「これほど親の反対を押し切って行くのだから、途中で挫折して帰ってくるようなことはあっては承知しないぞ」と言って励ましてくれました。
それから後、両親は教会に通うようになり、洗礼を受け、堅信式を受けました。
私が司祭按手を受けた日、最初に父と母が前に出て来てひざまずいた時には、涙が出てとまりませんでした。
私にとっても、8月は「ほんとうの平和」について考えさせられる時です。
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