司祭 ヨブ 楠本良招
「生きる」
歌手の谷村新司の歌に「群青」と言う題があります。歌詞は第二次大戦中の学徒動員で戦死した息子を思う老いた両親について歌ったものです。息子を思う親の気持ちを切実に歌った内容です。群青の海に散った息子を思う親の悲しさの歌です。親はどんな状況であろうとも生きて欲しいと思う人情の歌です。
信州上田市に「無言館」という展示場があります。学徒出陣で戦死した、東京芸大生などの絵画や文等が展示されています。「無言」の鎮魂歌です。どんな状況であろうとも作品を描き続けたことに深い感動を覚えますこの館も、つらく悲しい出来事を物語っています。(機会があれば、是非訪館してください)
さて、これら様々なことを思いながら、若くして世を去ること、又、身内に重い病で入院したり、あるいは長い療養生活程辛い時はありません。年齢に応じて死を迎えるのは、順序と思いながらも、親より先に召される時には涙が溢れ悲しいことはありません。いつかは死と思いながらも、その時はうろたえるにちがいありません。
コヘレト言葉には「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時・・泣く時、笑う時、嘆く時・・黙する時、語る時、・・」(三章一節〜八節抜粋)と記されています。私達の人生は神様によって定められ、ご意志によって生かされています。神様の時を知ることは出来ませんが、その時を素直に受け取っていくことが大切と思います。しかし、その時を中々受け取っていくことは出来なく、逆に否定したい気持ちにとらわれる事もあります。神様は私達の苦しみつらさ、悲しみの時を、一番良い方法で導いていて下さることを私達は知っています。
「泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」(詩30篇6節)。つらく悲しさで泣きながら夜を過ごす人は、いつか必ず喜びの朝を迎えることが出来る。慰めに満ちた言葉です。辛い、うめきの祈りは、隠れたところにお出でになる神様は聞き入れてくださる。喜びと恵みの朝が来る。真っ暗な夜の次には必ず朝が来る。私達は神様によって、世の不条理に打ち勝つ力、生きる力を与えられていただきましょう。