2004年1月25日  顕現後第3主日 (C年)


司祭 ヨシュア 柳原義之

   
   拝啓 大統領殿     詩・曲:ボリス・ヴィアン 日本語詩:高石ともや
 
   大統領殿 おひまがあれば 読んでくれるだろう この手紙を
   僕は今 戦場へ行く 徴兵カードを もらったところ
    僕は逃げる 戦いたくない 憐れな人を 殺したくない
   大統領殿 腹を立てないで 聞いてほしい 僕は逃げる

   父親(おやじ)は昔 戦場で死んで 子どもたちは 泣きじゃくった
   女手ひとつ 苦労していた 母親(おふくろ)も今は お墓の中
    爆弾を もてあそび ぼくの心を 奪っていった
   旅に出よう 明日の朝にも ぼくの住みなれた 家をあとに

   世界中 すべての兄弟に ぼくは言おう 言って歩こう
   人生を 大切になさい ぼくらはみんな 兄弟だ
    血を流すなら あなたの血を 猫かぶりの 偉い方々
   ぼくは逃げる 武器は持っていない 憲兵たちよ 撃つがいい 憲兵たちよ 撃つがいい


 以前友人からもらったCDブック「さあ 陽気にゆこう フォークソング年代記」高石ともや著 大月書店刊 に上記の歌は収められています。高校の頃より聞き出し、大好きなともやさんの歌声とこの詩の内容、本文の内容が、頭の隅にあったのでしょうか、自衛隊の戦地への派遣が現実となった今、再びこのメロディーと詩が頭の中を流れています。
 この歌が作られたのは1967年。ベトナム戦争に関する年表を見ると、60年代初めに始まったベトナム戦争が混沌へと落ち込んでいく時(既に深みにはまっていましたが)に作られています。ともやさんの文章には「1969年1月19日、大阪での平和集会。ジョーン・バエズをアメリカから迎えて、大阪中之島会館でベ平連のメンバーが集まり」とあります。今からたった36年前のこの季節に、ベトナム戦争の反対のために歌を歌い、闘っていた人たちがいました。私の小学校入学の頃です。
 いよいよ「本隊派遣」との記事。ベトナム戦争時も米軍は今回の自衛隊と同じような規模の軍隊を駐留させています。そして15年もの長きに渡って多くの兵士が、住民が死んでいきました。
 長引く不況、当てにならない年金問題から、65歳まで企業は雇用するように法整備をするそうです。ますます若者は働く場所がなくなります。そんな時、私たちの首相はこういうのかもしれません。「若い人たちには兵士という仕事を作り出しましたよ」と。
 この歌の最後のように、私たちは戦争反対を、憲兵たちが弾圧に来ても、たとえ銃を向けられても武器を持たずに闘わなくてはなりません。戦争はおろかで、悲惨なことだと知り、かつてその中を幼い心で見てこられた方々、今のままでいいのでしょうか。あなたたちの孫を戦場に送り出すのでしょうか。
 私が生まれた時に始まり、中学を卒業する頃に終わった戦争を、私はあまり意識しませんでした。しかし、自分の息子たちや娘たちがその同じ頃を生きている今、彼らを戦場に送り出すことはしたくない。遅まきながら、自分の中で武器を持たない闘いの準備が始まっているように思います。今日の福音書(ルカ4:14−21)の言葉が実現するために。