2004年1月4日  降誕後第2主日 (C年)


司祭 エレミヤ 上松 興

脇役に徹したヨセフ【マタイ2:13−19、19−23】

 福音書は主のご降誕の喜びから一転して、ヘロデの魔の手から逃れる、いわば逃避行の物語が書かれています。人生には突然大きな試練がやってきます。ヨセフの家族もそうでした。主イエスが誕生し、大きな喜びに包まれておりました。主イエスの誕生に東方から三人の博士たちが駆けつけて、黄金・乳香・没薬と高価な贈り物を捧げて賛美して帰っていきました。旅先のヨセフたちにとってどんなにか嬉しく、また安心して故郷へ戻れることと思ったでしょう。しかし幸せの絶頂と思った時、突然不幸は訪れるものです。日課の前には、三人の博士たちが救い主を訪れたことを知った領主ヘロデが、いずれは自分の地位を脅かすようになると恐れ、二歳以下の男の子を見つけ出し殺そうとしました。そこで今日の日課となります。主の天使がヨセフに現れます。エジプトに逃げることを告げます。ヨセフとマリアはこれを聞いてどんな気持ちだったでしょうか。マリアは出産して間もないのです。喜びから一転して苦難が訪れました。私たちもしばしばそのようなことを体験します。人生の危機・試練には、人間の思いに立つとどうしたらいいか分からない。自分を見失ってしまいがちです。しかし聖書は危機に立ったヨセフの家族に、主の天使が行くべき道を告知しています。そしてヨセフは主のご命令を疑うことなく、直ちに従いました。困難に陥った時ほど神様のご命令に聞き、神様が導かれる方向に歩んでいくことを聖書は語りかけています。
 主の誕生に際しては、ヨセフの存在が大きく関わっています。主の誕生後の危機に対しても主を信頼して聞き従って、エジプトに産後間もないマリアと初子のイエスを連れて苦しい旅に直ちに出発しています。やがてヘロデが死に、ようやく寄留の地エジプトからガリラヤの地ナザレに移り住みました。長い放浪の旅でした。その間ヨセフは家族を守り、やがてこの世で神の国の宣教に活動する姿を見ることもなく生涯を閉じています。今日の日課でヨセフの記述はほぼ終わり、聖書の表舞台からは姿を消します。ヨセフは主イエスが宣教活動を始められる前に亡くなったこともありますが、いつ死んで、どうであったかも分からない。主イエスを守り、やがては人類の救いのため公生涯を開始するための脇役に徹した人であったのです。ヨセフがいなければ、主イエスの人類の救済はあり得なかったと言えるのではないでしょうか。このヨセフという、全く忠実に主の言葉を受け入れ、直ちに行動する勇気を持って歩んだこと。主に頼り、主のご命令に歩んだ姿に心を惹かれます。
 私たちは主の降誕を祝いました。そして新年を迎え、キリスト者としての歩みを始める時、このヨセフの信仰者としての模範を示されています。ヨセフは神の言葉によって生きていました。常に主のご命令を聞き、主の言葉を待ち、主の言葉に従って実行した人であったのです。私たちは主の教会を守っていく、受け継いでいく使命を与えられています。教会の主人公は主イエスです。私たちはヨセフのように主イエスの働きを支える名脇役のようなヨセフでありたいと願っています。年の初めの主日に私たちはヨセフの生き方を聖書を通して示されました。神の言葉に聞き、神の言葉に生きる、ヨセフのような謙遜な信仰を福音書は語りかけております。