絵本作家の佐野洋子さんのエッセーが何とも言えず面白くて、皆さんに紹介したいところなのですが、「何とも言えず」なので少し困りました。物の感じ方や考え方が奔放で、生き方もとても自由で、でも本当はどれほど自由だったのかよく分からない。生活に縛られながらも自由でありたいといつも願っているからこんな文章になるのか。ある程度自由だからこんな風に書けるのか。うちでかなり意見交換しましたが、よく分かりません。でも、何かにこだわっていると、エッセー集の中から、「そんなこと、どうでもいいんじゃない?」って声を掛けてもらえそうです。
佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』は何度読んでも味わいがあります。ねこは自分の飼い主たちについて、「王さまなんかきらいでした」、「どろぼうなんかだいきらいでした」、「おばあさんなんかだいきらいでした」、「子どもなんかだいきらいでした」と、自分だけが大事なとても自由な生き方を100万回もします。でも、最後には白いねこが好きになって不自由になり、「ねこは、白いねこのとなりで、しずかにうごかなくなりました。ねこはもう、けっして、生きかえりませんでした」と、終わっています。
佐野洋子さんの本は、きちんとした生き方をしようとする人には向いていませんので、気を付けた方がいいと思いますが、この絵本については、いい意味で「不思議な」と書かれることが多いと思います。絵本もエッセー集も「自由」について、そして「生き方」について改めて考えさせられるものだからでしょう。それも難しい言葉を使わずに。本当の自由さとは、ひょっとすると不自由な生き方の中に隠れているものかも知れません。
「不自由こそ自由だ」って、すいません。またややこしいことを書いてしまいました。
(教区主教)
|