傘は似合わない      主教 ステパノ 高地 敬

 

 雨の日、目指す駅に着いて迎えに来てくださる方を待っていたら、一人の男性が近づいて来てビニール傘を私に差し出し、「これ、良かったらどうぞ。私はもう使いませんから」と言われました。鞄の中には折り畳み傘があるので一瞬迷いましたが、「あっ、ありがとうございます」と傘を受け取りました。
 雨の日に傘もなく立っている私がとても可哀そうに見えたのでしょうか。私には傘が必要という訳ではなかったのですが、その人は電車に乗るのに邪魔な傘を処分しようと思っていて、傘が必要な人間をうまく見つけたということだったのでしょうか。
 何か欲しくても手に入らなくて、要らないものをもらってしまう。よくあることのように思います。本当に欲しいもの、自分の病気が治るとか、大切な人の病気が治るとか、懸命にお祈りして、それが聞かれることもありますが、ダメな時も多いのではないでしょうか。神様は私たちが必要なものを本当にすべてご存じなのでしょうか。自分になど目を向けてくださっていないような気がすることまであります。
 「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」私にとって必要なものと、神さまが私に必要だと考えておられるものとは違うのだろうとは思いますが、では、私には本当は何が必要なのでしょうか。
 「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」要らないと思えるものこそ必要なのかも知れません。自分にはどうしても分かりにくいようですから神さまにお任せしましょうって、でも、やっぱり傘は要らなかったのです。

(教区主教)