らくだは割引き       主教 ステパノ 高地 敬

 

 「とーさん、来年60か?」と相方が聞くので、「えーと、今58やし、そーやなぁ」と言うと、「還暦やんか。わたしなんか四捨五入したらまだ50やで」と目も鼻も笑ってとてもうれしそうなので、「歳の差は変わらんと思うけど」と返しておきました。来年四捨五入したら相方も60になると思うのですが、それは言えませんでした。
 ちょうど読んでいたミステリーの中で同じような会話がありました。「気の毒よねえ。四十五歳といったら、私と同じくらいじゃない」、「おまえは五十過ぎじゃないか。どこが同じくらいなんだ」、「四捨五入したら同じでしょ。」年齢のことで四捨五入するのは、昔からの習慣でしょうか。少しでも若く見られたい人が多いようです。
 年齢以外のことでも私たちは、「そこまでにはなりたくない」とか、「そこまでしたくない、できない」という時に、自分勝手な計算をするようです。
 ペトロの、「人を赦すというのは、七回くらいしなければなりませんか」という質問には、「できれば一度も人を赦すことなんかしたくない」という気持ちがいっぱい込められています。人を赦すごとに、何か自分がみじめになっていくようだし、気持ちを静めなければならないし、だから、自分の都合のいいように、赦す回数も割り引く。
 イエス様はペトロに言われます。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」それに対して私たちは思わず、「えーっ、逆に七回を七で割ったらいけないでしょうか」と言ってしまいそうです。そんな情けない私たちにイエス様はやさしい声で、「あなたには割り引いてあげてもいいよ。その代り、私があなたを赦す回数も割り引いてね。」そこまで言われないうちに、何とかしましょうか。

(教区主教)