らくだの正体       主教 ステパノ 高地 敬

 

 相方が、「わたし風邪ひいたみたいやけど、とーさん、どうや」と聞くので、「頭と顔以外悪いとこないけど」と答えたら、「せーかくも悪いで」と返ってきました。今まで隠してきたつもりだったのですが、性格が良くないこと、気が付いていたんですね。ただ、私は他にもいろいろ相方に隠していることがあります。まだ知られていないようなので安心しているのですが。
 隠していることが知られてしまうのはとても恐ろしいことです。私たちは多かれ少なかれ、人に知られると困ること、恥ずかしいことがあるのではないでしょうか。自分の良くない部分が知られてしまうと、生きていけなくなるのではないかと思うことさえあります。隠し事があるからようやく生きていけると言ったら言い過ぎでしょうか。
 スーパーマンは、新聞記者としての普段の姿が知られてしまうと、活動ができなくなってしまいます。これは、小さい時の自分を知っている人に昔のことを言われるのが嫌なのと同じようなことでしょうか。聖書の中では汚れた霊がイエス様に、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と叫びました。イエス様を圧倒するために「お前の正体も秘密も知っているぞ」と言ったのですが、イエス様は、「黙れ」とお叱りになりました。「人の秘密を暴いているお前こそなんだ。」
 正体が知られても全然大丈夫なイエス様と違って私たちは、隠し事が何にもなくなってしまったら、自分が自分でなくなってしまうように感じます。そんな私たちが、大切な秘密を隠し通せるように、そして、秘密が人に知られてとてもしんどくなってしまっても、神さまがお支え下さるように、お祈りしたいと思います。

(教区主教)