どっちもらくだ       主教 ステパノ 高地 敬

 

 お正月に電車に乗ったら中吊り広告に、「初詣はI神宮へ」と書いてあって、その隣の広告には「初詣はK神宮へ」とあって、どちらもそれぞれの神社のお社を背景に和服の女性がにっこりと写っておりました。要するに初詣には電車に乗ってくれたらうれしいという宣伝なのですが、左右の広告を見比べると、写っている女性は和服の柄が違うだけで同一人物のようです。
 そこでまたへそ曲がりに考えておりました。「この女性は、I神宮かK神宮か、どちらに行ったらいいと言っているんだろう。」鉄道会社にすれば、どっちに行ってもらっても、電車に乗ってもらえたらそれでいいということだと思うのですが、でも、この写っている女性はどう思ってるのか?「あなたはどちらにも写っているけど、本当はどっちがいいと思ってるの?両方に行って二股かけるの?」
 広告を見た人が、行くのだったらどちらにするか勝手に決めればいいのですが、一年の命運がかかっているのでしょうから、重要な選択であるはずです。他宗教のことに余計なお節介だと思いつつ、気になります。
 こんな時、イエス様だったら、「人のことはともかく、あなた自身はどちらを選ぶのか」と問われるでしょう。もちろんどちらの神社かという問いではなく、信仰や人生の道のりでの選択です。「私を選び、すべてをかけて従ってくるのか、それとも、もっと歩きやすい簡単な道を選んで、どこか知らないところに行ってしまうのか。」
 IにするかKにするか、どちらが便利か、どっちに行ってみたいかくらいの違いだけで、これからの一年の生き方が変わるような選択ではないのかも知れません。だから両方に写っていても構わない。どうしても気になった理由が分かってきました。

(教区主教)