もともと渋い顔       主教 ステパノ 高地 敬

 

 先日、5年ぶりに運転免許の更新に行きました。午後は一時からの受付30分前に着いて行列に並びました。受付は前回とは別の建物になっていて、混雑が少し解消されておりました。
 パンをかじりながら待っていて、気がついたことが少しありました。
 @いろんな人も含めて100人以上の人がいるのに、話し声がほとんどないこと。通勤電車の中の
  ようです。中には友達同士で来ておしゃべりしている人もいますが、ほとんどの人が一人で来てい
  るのでしょう。
 A失礼ながら、建物が薄汚れていて暗いこと。多くの人に来てもらうために、少しでも居心地がいい
  ようにと考える必要がないからでしょう。
 B私も含めて誰も笑顔の人がいないこと。暗い沈んだ顔というわけでもないのですが、誰もうれしそ
  うな明るい顔をしていません。免許センターに免許の更新に行くのは、安全運転について学ぶこと
  は別として、喜んで自発的に行くのではなくて、法律で決まっているから、つまり、仕方がないから
  行く。どうやったら早く帰れるだろうかと、誰もがむっとした顔で考えているのではないかと思いまし
  た。
 受け付けが始まるころには行列がさらに伸びていましたので、午後の部だけで多分300人以上いて、うれしくない気持の人がこんなにたくさん集まっている場所も満員電車以外には他にないのではないでしょうか。
 教会は免許センターとは全く逆の様子でしょう。誰もが自発的にやって来て、来る時に暗い顔の人も少しは明るい顔になって出ていく。礼拝の前後はとても賑やかで、もう少し静かでもいい。えっ、「洗礼の約束の更新」がたまにあるから、やっぱり免許センターみたいなものだって?うーん、そうかも知れませんが、免許の更新、忘れていませんか?

(教区主教)