多生のらくだ       主教 ステパノ 高地 敬

 

 ある教区での会合のあと、新幹線の駅に行ってホームを歩いていたら、向こうから某教区の主教さんご夫妻が歩いてこられて、私と同じ車両に向こうから乗り込まれ、お互いに自分の席を探しながら近づいて行って、ついに同じ列だったということがありました。こんなに空いているのに、そして、さっき会場で、「ではここで失礼します」と別れてきたのに、なんでこうなるのか。どの主教さんとも関係が良くないわけではないので問題ないのですが、その主教さんとは他にも何度か駅で出くわしました。「すごいね」とおっしゃるので、「○○○縁ですね」とお返ししました。こんな時には「神様の何かのお考えで」と思いたいところかも知れませんが、お忙しい神さまが、そんな細かいことまでお考えになるでしょうか。
 そう言えば、東京駅に着いて気がついたら、同じ列に別の主教さんが乗っておられたこともありました。要するに確率が低いと思い込んでいるだけで、かなりの場合、起こるべくして起こっているのかも知れません。同じ会合に出るのだから当然駅でも出会う。列車でも同じ列になる。
 かつて日食など日常的でない出来事は何かの予兆だと考えられていましたが、今では十分に予測のできる現象で、不吉でも奇跡でもありません。一方、十字架はお弟子さんたちにとってあってはならない偶然の出来事でありましたが、イエス様にとっては起こるべくして起こった神様の必然でありました。
 列車の同じ車両の同じ列の席になる。偶然なのか必然なのか。確率は意外と高いのか、それとも神様が私に何かを懸命に伝えようとしておられるのか。同じようなことが二、三回起こってから考えても遅くはないでしょう。神様は辛抱強く待っていてくださいますから。

(教区主教)