私たち家族が住まわせていただいている家は、ウィリアムズ主教が主教職を退任したあと、京都聖ヨハネ教会で牧会しておられた時の牧師館を今のところに移築したものです。かなりの年数の建物ですが管理が良かったせいか、ゆるみもひずみも少なくしっかりしています。ただ、一部細かいところで小さな釘や木ネジが効かなくなっているところがあります。釘が効かない、手ごたえがない。「糠に釘」、というところでしょうか。
ある教会で数年前にいただいた糠漬けがおいしくて、自分でも糠漬けを始めました(糠漬けが好物というわけではありません)。「糠に釘」とはこれのことかと初めのころ感心しておりました。漬けているうちになぜかきうりやなすの色が落ちてしまうので調べましたら、料理をする人にとっては常識なのかも知れませんが、糠に釘を入れればいいと分かりました。鉄分が何かの作用で色落ちを防ぐのでしょう。実際に釘を入れたら見事に色落ちしなくなりました。
「糠に釘(を打つ)」は、「効き目がない、意味がない」ということですが、「糠に釘(を入れる)」だと、「効き目が抜群、意味がある」ということになります。このことわざの本来の意味は何だったんだろうと思ってしまいます。
意味がないように見えて、実はとても大切な働きをする「糠の釘」のようなものが教会にはあるように思います。聖職のシャツとか祭服?お祈り?ひたすら聞くこと?役割が当たっているために教会に行くこと?たまに時間に間に合って礼拝に出ること?短時間の会議?見えないお恵み?もっと大事なこと、ほかにありませんでしたっけ。
なお大変恐れ入りますが、漬け物は自分流でやっておりますので、ご指南はどうかご勘弁くださいますように。
(教区主教)
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