骨のないらくだ       主教 ステパノ 高地 敬

  

 ごぼうを食べようとしたら、お箸でうまくつまめず、ピュルンとはじいてしまいました。もう一度つまんでもピュルン。よく見ると、ごぼうではなく細く切ったこんにゃくでありました。それに気がつくと今度はうまくつまめました。ということで、普段からお箸を使う時、つまむ力や角度を知らない間に加減しているのだということを知りました。
 固い物だと思ってつまんだのに、実はくにゃくにゃのこんにゃくだった。重い物だと思って持ち上げると、意外と軽い物でよろけてしまった。小さいと思っていたのに、予想以上に大きくて用意した入れ物に入らなかった。なめらかだと思っていたのにざらざらで、すり傷ができてしまった。日常的にいろんな感違いがあって、思い通りに物事が進まないことがあります。自分の感じ方や思いはかなりいい加減だとよく思います。冷静に判断していると思っていても、後から振り返ると、本当に自分勝手だったと思い知らされることもあります。
 ただ、こんないい加減な自分だから良かったかなと思うこともあります。近寄りがたい人だと思っていたのに、案外やさしい人だったということや、気に入らない点ばかりの人が、実はとても面白い人だと気がつくこともあります。その上に、神様とかイエス様ってこんな方だろうと思っていても、たいていその見方はどんどん変わっていって、とてもうれしい見方が加わったりします。(逆もありますが。)
 一度先入観を捨てて真っ白になって神様や人や物を見ることができれば失敗もなくなって、もっと愉快に毎日を過ごすことができるのではないかと思うのですが、たぶん私には無理です。それよりも、物の見方をどんどん変えていくことの方がいいのかも知れません。いろんな新しいものに出会えますから。

(教区主教)