エレベーターの下りのボタンを押してエレベーターが来るのを待っていたら、後から来た一人の男性が、同じ下りのボタンを少しいらいらした様子で何度も押していました。すごく急いでいることは分かるのですが、押しても早く来るわけではありません。それを知りつつ、つい押してしまうということでしょうか。それを見ながら、「10回くらい押して本当に早く来るのだったらすごいな」とぼんやり考えておりました。
いらいらしている様子は、怒りや悲しみ以上にまわりに見えやすいようです。人によっては膝をとんとんとんとん叩いたり、貧乏ゆすりをします。ほとんど例外なく誰にもあることなのだと思います。いらいらしている気持ちを分かってほしいと、不機嫌な顔で回りをにらみ、「頼むから早く来てくれ」と念じながら、ボタンを押す手に気持ちと力を込めます。
エレベーターがやっと降りてきて、ドアが開いたときにちょうど見ていなくて、ドアが閉まって、あわてた時にはもう下に行ってしまったなどということも経験します。自分に「バカ、バカ」と言いながら、エレベーターのボタンに八つ当たりをしたりします。少々急ぐ時も気持ちをゆったりと持つことができれば、お互いにもっと楽しくうれしく付き合うことができるはずですが、簡単ではないようです。
私たちは普段から、神様の乗っておられそうなエレベーターのボタンも知らない間に押しています。「早く降りてきて乗せてください」と願いながら、神様のエレベーターのボタンを何度も何度も押している。だからと言ってエレベーターが早く着くわけではありません。むしろ、神様のエレベーターのボタンは一回押しただけで音もなく降りてきて、神様はいつの間にか同じ階にいてくださるのでした。
(教区主教)
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