らくだのようでもある          主教 ステパノ 高地 敬

 

 アラスカの写真を撮っておられた星野道夫さんの講演集に、こんなことが書いてありました。「私たちの普段の生活の中では、名刺でかなりのことが分かる。何々会社の何々など、やっていることでどんな人か大体分かるが、アラスカでは人のことを紹介するのが難しい。『あの人は秋は何々をしていて、春は何々、夏は何々をしている。』」
 職業についてはこのように言えるのだと思いますが、生活全体を見てみるとどうでしょうか。「ぼくのおとうさん」という歌では、お父さんは、「会社へ行くと会社員、仕事をする時課長さん、食堂入るとお客さん、歯医者に行くと患者さん、歩いていると通行人、学校行けば生徒さん、電車に乗ると通勤客、うちに帰ると僕のお父さん。」このように一人の人でも場合によっていろいろな人になります。特に、その時の周りの人との関係によって、どんな人であるか決まるようです。
 逆に、あなたは何者ですかと問うと「僕のお父さん」は何と答えるでしょうか。仕事を優先するでしょうか。一番格好いいと思っているものを言うでしょうか。それとも、アラスカのように自己紹介が難しいでしょうか。
 「この人は何者か、私は何者か。」とても答えにくい質問です。イエス様は神様で人間だと言われます。私にとってある時は神様であり、ある時は人間だということですが、どちらかに決めることはできません。救い主だ、先生だ、神の子だ、預言者だ、洗礼者ヨハネの生まれ変わりだとも言われ、人によって見方がかなり違います。
 イエス様はご自分のことを、「人の子」だと言われました。これも分かりにくい言い方ですが、「私は誰に対しても人の子というしもべにすぎません」という、一番見栄えのしないものを言われたのに違いありません。

(教区主教)