らくだの高楊枝           主教 ステパノ 高地 敬

 

 何年か前にミャンマーに行った時、事前に荷物の準備をしていたら相方が、「ミャンマーは文化が違っててつまようじないかも知れんから持って行った方がええで」と言いました。「そやな、なかったらほんまに困るし」と素直に食事の回数分プラス余分を持って行ったのですが、残念ながらどこの食堂にもつまようじはありました。歯に食べ物が挟まるのはどこの国でも同じで、おじさんたちはだいたい食後にまめに歯の掃除をするようです。
 日本のつまようじは仏教とともに日本に入ってきたと言われます。それだけでも一本一本がなんだかありがたい感じがしますが、つまようじは口の中の衛生のためや、小さな食べ物を口に運ぶとても実用的なものです。形も断面が丸いものだけではなくて、四角いのもあるし、三角が一番機能的だという話もあります。また、弱くてすぐにダメになるものもあるし強いのもあります。韓国では残飯を飼料にするために溶けるつまようじが使われているようです。
 常に持ち歩いている人もいるくらい大切な道具であるつまようじには、口の中のどんな狭いところにも入っていってがんばってほしい。口の中の要らないものを自分では取り除けない時、私達には形も材質も良いつまようじがあるでしょうか。また、自分の心の中の余計なものを取り去り、必要なものを運んでくる、つまようじのような便利な道具を私達は心の中に持っているでしょうか。
 「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す」とイエス様は言われます。人を汚してしまうようなとても残念なものが私たちの中にはたくさんあります。自分では取り除くことができない時にそれをしてくれる大切なもの。十字の形をしたものが私たちにはありました。

(教区主教)