夢の中のらくだ           主教 ステパノ 高地 敬

 
 平安女学院の入学式や卒業式には毎年できるだけ出させていただいています。今年の中学高校の入学式では、式後に吹奏楽や筝曲、合唱、ハンドベルの演奏があり、最後にお母さんたちのコーラスが一曲ありました。「苦しいことにつまずく時も、きっと上手に越えていける。夢をあきらめないで」という歌詞で、お母さんが子供に贈るやさしい気持ちのこめられた歌だと感じました。あとで奥先生に聞くと、岡村孝子の「夢をあきらめないで」という有名な歌だということでした。
 そんな話をうちでしてたら、ちょうど教育テレビで、「愛のタマゴ、タマゴ、あたためよう。きみのタマゴ、なにがでる?割れたり枯れたり、いろいろあるけど、気にしない、気にしない、すぐまた見つかる、かならず見つかる、いくらでも」(トータス松本「みいつけた」)という歌が流れていました。相方曰く、「この歌、ええやろ?一つのことがダメでも、ほかにも何かがきっとあるよって。失敗してもいいんやでって、私らの頃はがんばれとしか言うてもらわへんかった。」
 「私らの頃」っていつだとは聞かないことにして、「夢を・・」の歌ががんばれと言っているのではないかと言われてみると、そうとも思えてきます。ただ、どちらの歌も応援しようとか温かく見守ろうとする気持ちは同じなのだろうと思います。失敗しても辛くても何とかなっていってほしい。何とかなるよ。がんばろうよって。えーっ、やっぱりがんばれか。
  なんだかよく分からなくなってしまいました。今回はいつも以上に結論がありません。「夢を・・」の歌はがんばれか、皆さんお考えいただければと思います。イエス様だったら何と言ってくださるでしょうか。

(教区主教)