相方がある朝言いました。「みんなでプロレス見に行ってる夢見たわ。」よっぽどストレスたまってるんやなと思いました。牧師だった父は、テレビでよくプロレスを見ていました。馬場や猪木やデストロイヤーが全盛の頃でした。36文キックが飛ぶたびに、父の上半身が力を込めて前に揺れていました。そこでストレスを発散していたのでしょう。
30年ほど前、ある外国語の検定を受けたとき、会話の試験で、「ストレスをどのように発散していますか」と聞かれました。就職もせずうろうろしている時だったのと、まともに答える能力がなかったのとで、「ストレスはありませんけど」と答えて不合格になり、かえってストレスになりました。
イエス様はどうだったでしょうか。多くの人々に囲まれて話をし、一人ひとりのために祈り、いやし、弟子たちを教える。与えるだけのかなりしんどい毎日。その上にイエス様の言葉尻を捕らえようとやって来る人たち。ストレスがかなりたまっていたと思います。神殿で大立ち回りしたり、ややこしい人たちをこき下ろしたりされましたが、それでスカッとされたとも思えません。
多くの人を残したままイエス様は、祈るため一人山に登られます。同じように私たちも一人で祈り、また、教会に行きます。一人で考えたり誰かに話して、ストレスの原因が何なのか振り返る。そして「神様、お支えください」とお祈りし、ストレスから解放される。簡単なことではありませんが、教会がそのような場であればと思います。
相方の夢の続きは、「レスラーがいつの間にかお笑いの人に変わってて、プロレスと違ごてお笑いやったんやわって(気がついた)。」夢の原因は、ストレスではなかったのでしょうか。
(教区主教)
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