ディズニーの『バンビ』の中のウサギのとんすけとお母さんの会話。「とんちゃん、お父さんに今朝、何て言われた?」「やさしいことが言えないのなら、何にも言っちゃいけないぞ。」お母さんはお父さんの言ったことを持ち出さないで、自分の責任で話せないのかなぁと思いますが、それはさて置き、「優しいことが言えないのなら」というのは、ドキッとさせられる言葉です。自分は果たして優しいだろうか。どんな時に人に冷たいだろうか。
前に何かの拍子に相方の手に触れた時、「母さん、手、冷たいなぁ。心は温かいのに」と懸命に皮肉を込めて言ったら、「いいや、心は白雪姫の魔女みたいなんやけど」(えー、やっぱりそうやったんや。けど、ちゃんとほんまのこと認めてるなぁ。)
世の中には自分が優しくないことを堂々と認める人たちもいます。攻撃的であることを大切にしている人たちがそれに当たります。軍人、や○○さん、つっぱったお姉さんやお兄さんたち。聖書の中にもファリサイ派や祭司など、そんな冷たい人がたくさん出てきます。ただ、これらの人たちも、身内には優しい時があるのかも知れません。自分より弱そうな人に対しては心が冷たくなって厳しく強く当たり、逆だと優しくはならなくても攻撃はせず、近づかなかったりもする。私たちは多かれ少なかれ、そんなことを使い分けますし、ひょっとすると、本当はとても冷たいのに自分は優しいんだと思い込んでいるかも知れません。
聖書の中のイエスさまも優しくない時があって、かなり乱暴な攻撃的なこともあったようです。いつも優しいイエスさまというイメージから遠くて戸惑いますが、いつ優しくていつ厳しいかということが私たちとはずいぶん違うのですよね。
(教区主教)
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