息が問題だ                 主教 ステパノ 高地 敬

 

 うちに帰ると何かが匂っていることがあります。「なんか臭いで。」「そうかぁ?おっさん臭いのと違う?」「そーかぁー?」「それにうさん臭い。」
 うちに帰って「なんか臭い」と言うたびに、相方にいろんなことを言われてしまいます。「おっさん臭い」、「けち臭い」、「貧乏臭い」は、心当たりがあるのですが、「うさん臭い」、「うそ臭い」はそんなに自覚がありません。
 あるとき、「オレ、臭くないか?」と聞いたら、「誰も父さんがえー匂いするて思てへんて。」そういう問題ではなくて、ちゃんと鼻を近づけて、真剣に匂いをかいで、私の不安を取り除いてほしいのですが。
 前にある国に行ったとき、市場の一角で強烈な悪臭がしていました。捨てられた物が腐って、自分の存在を匂いという形で主張しているのではないかとさえ思えました。そこでたくさんの人が生活をしていますから、「悪臭」と言うと失礼になるでしょう。生きている人によって物が捨てられ、生命が匂っている。
 一方、身近な匂いの中で、魚や肉を焼いている匂いはとてもうまそうな匂いですし、香ばしい匂いです。でも考えてみれば、それは死んだ動物を焼いている匂いでありました。(今日の晩ご飯も元気に食べましょう。)
 聖書の中に出てくる匂いは、「キリストの香り」です (エフェソ5・2) 。 捨てられ、死んだ方が匂いを立てていて、それによって多くの人が生きている。それを私たちはある時は臭いと感じ、ある時は香ばしいと感じるのでしょう。与えられる生命の恵みを感じたいと思います。
 「やっぱり父さん何か臭いね。加齢臭やね」「それ、どんな匂いや?」「カレーにシュークリームがのってる匂い。」「・・・」

(教区主教)