肩で風切る                 主教 ステパノ 高地 敬

 

 電車に乗っていて目的の駅についたので立ち上がったら、何かが額にかつーんと当たりました。前に立っていた高校生が放した吊り革でした。その顔を一瞬見ましたが、とてもばつの悪そうな顔をしていました。
 ずいぶん前に野菜の無人販売所で、まず100円を代金の箱に入れてから野菜を選んで手に取ったら、一人の高齢の女性が通りの向こう側から急いでこちらにやって来られました。「お金入れましたか?」「先に入れましたけど」と言うと、箱をのぞき込んで、お金が入っているのを確認してから、「どうもすいません」としきりに謝られました。
 「全然怒っていませんから」と心の中で思いながら、こちらもなんだか居心地が悪くなります。自分の顔が引きつっているのも感じます。そこでは二度と買うことがありませんでした。
 「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」と聖書に書いてあっても、とても難しいです。それも、ちょっと迷惑を受けたり、ちょっと疑いの目で見られたくらいでこうですから。「難しいから、聖書に書いてあるんだろうな」とも思います。
 「目ぇが怒ってるぅぅ♪」という歌が教育テレビで流れています。それを聞いて、イエス様はどうだったのかと想像します。福音書にはイエス様が怒られる場面が何回かあります。だから、不当な十字架刑のときも怒られたのかというと、どうもそうではないようです。ご自分が怒られたのではなく、神様の怒りをすべて身に負われた。
 そんなイエス様の優しさを受けても、いつまでも目で怒っている私。「目はおこってる」の歌は「目はおこってる/ほらおこってる/まだおこってる/ほらたいへんだ」と続いておりました。


(教区主教)