らくだのとりはだ                 主教 ステパノ 高地 敬


 ディズニーのアニメ『ピーターパン』に、フック船長の顔を手下のスミーが剃るシーンがあります。「船長に今必要なのは、ア・ナイス・スムージング・シェイヴでさぁ」というせりふがあって、日本語吹き替え版では、「すてきなじょりじょり」と訳しています。スミーに剃ってもらったら、とても気持ちよさそうです。
 先日散髪に行ったら (「どこを切ったの」と聞かないようにお願いします) 、その店で初めて見る年配の女性が顔を剃ってくれました。あごの下のところになって、剃りにくいから何度もかみそりを当てて、しかもかなり力が入っておりました。「痛いからやさしくして」と言えればいいのですが、なかなか勇気が出ません。少々のことで大げさだと思われるかも知れないし、回りのお客さんも変に思うだろうし、第一、せっかく剃ってくれているのに。
 あとで、その方が他のお客さんの顔を剃っている様子が鏡で見えました。お客さんは気持ちよさそうに目をつぶっています。それで、私の肌は人より弱くて感じやすいのかなとも思いましたが、いや、私にとっては痛かった。私には血止めの薬を塗っていたぞ。
 一言くらい謝ってくれてもいいのにとは思うのですが、では、自分が人の痛みに気がついているかというと全く自信がありません。イエス様が十字架の上で大声で叫ばれても、その痛みを感じ取ることができない。叫びたくても叫べない人の気持ちは想像すらできない。
 ただ、イエス様がこんな私たちの痛みを受け留めてくださったので、私たちは痛みの中でも安心することができます。そうして初めて、私たちが手に持っているかみそりを、人を傷つける道具ではなく、「すてきなじょりじょり」の道具にすることができるのでしょう。


(教区主教)