らくだのしっぽ                 主教 ステパノ 高地 敬


 大阪から和歌山方面に行く快速電車は途中で関空行きの車両が切り離されて、先頭になった車両の見晴らしがとても良くなります。気がつくと、10人くらいの人が前方を見るために立っています。多分、後ろから移動してきたり、途中から乗ってきた人たちだと思います。後ろの方に立っている人がほとんどいないので、異様な感じもします。実は私も前が見たくて座っているのに、人が立つと見えなくなってしまいます。
 前を見て目標をしっかり見据えたり、どんなところを走ろうとしているのか知っていたい。けれども、時々何かが邪魔で見えなくなります。
 「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」こんなふうにイエス様に尋ねる弟子たちには、心配な気持ちがいっぱいあるのでしょう。どこに行かれるのか分からないのは、修行が十分ではなかったからなのではないか。そのために後ろばかり気になって、前に進もうとされるイエスさまだけを見ているということができないのではないか。
 『のはらうた』という詩集は、野原の小さな動植物による詩が集められたものです。その中にへびいちのすけの「あいさつ」という詩があります。

      さんぽをしながら
      ぼくはしっぽによびかける
      「おおい、げんきかあ」
      するとむこうのくさむらから
      しっぽがハキハキへんじする
      「げんき、ぴんぴん!」
      ぼくはあんしんして
      さんぽをつづける

 後ろが元気だと心配事がなくなって、しっかり前が向けて行き先も分かります。イエス様は、後ろから先に元気にしてくださって、「ついてきなさい」と呼び掛けてくださっておりました。



(教区主教)