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らくだうどん 主教 ステパノ 高地 敬
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うちでうどんを食べていたら、相方が七味を自分のに降りかけながら、「私なんかこないだまちごうてシナモンかけたわ」と言いました。それを食べたのでしょうか。
そう言えば前に、うどんにはかまぼこだけど、なると巻きはラーメンだけかと論争(口論)になったことがあります。確かうどんになるとを入れる教会があったと思います。
ある教会の月報に、別に気にはならないのですが、変った記事があったので、無断で転載いたします。(一部改変)
§主教さんをもてなす§
ある教会での話。主教さんが堅信式に来られることになった。前日、ある信徒がふと気がついて、他の人に言った。
「明日は、主教さんが来られるんですから、ちょっと何か特別なことしたいですね。」
「そうそう、あっちでも、今話してたとこやねん。やっぱり、主教さんのうどん、かまぼこはちょっと厚めに切らなあかんやろなあって。」
その後になぜかマルコ9ノ41が引用してありますが、それも気にしないことにして、皆さんの温かいお気持ちのこもったうどんだったら、かまぼこは普通でいいです。
それにしても、かまぼこは特別な存在です。味も量もほとんどなくて、おあげやネギに比べて存在感が少なく、薄くても別に構わない。でも、うどんに彩りを添え、唯一噛みごたえのある、なくてはならないものだと思います。
と書いていたら、相方が、「かまぼこ、なかっても別に構へんやん」と教えてくれました。なるほど!十字架の上のイエス様は、その存在が薄いながらも光っていたというより、その姿を徹底的に消されたのか。するとまた、「かまぼことイエス様と一緒にしたらあかんで」と言われてしまいました。
(教区主教)
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