しっぽがぬれている                      主教 ステパノ 高地 敬


 梅雨に入りました(か)。以前いた教会の保育園で、保育士さんが「雨の日の散歩」を研究テーマにしたことがありました。かわいい3歳児たちがカッパを着て長靴をはいて、傘なしで雨の中を何回か出かけていきました。保育士さんは大変でしたが、水溜りやカタツムリや葉っぱの上のしずくなど、子どもたちにとってはすばらしい経験だったでしょう。
 このごろは傘を手に持たなくても差すことのできる器具があるようです。大阪に行きますと、傘を差す器具をハンドルにつけている自転車が多いことに驚きます。これはずいぶん前からの現象だと思います。夏は日傘もつけられて、本当に多くの女性の自転車にはこれが付いています。その上、大阪の妙齢の御婦人方が自転車に日傘を差して集団で走っていたりすると、かなりの迫力です。
 自転車に傘が固定されていると安全運転ができてとてもいいなと思うのですが、京都教区の中ではまれにしか見掛けません。大阪府内の岸和田の教会付近ではいかがでしょうか。雨の日も京都では傘はほとんど手に持って、危なっかしく自転車に乗っています。雨にぬれたくはないし、かと言って器具を付けることまでしたくないということでしょうか。どうしてこんなに違うのか考えても分かりませんから考えないことにして、こんなに違う大阪教区と京都教区、これからもますます仲良くやっていければと思います。
 イエスさまの時代に自転車があったら、イエスさまは安全運転派だったでしょうか。危ない乗り方だったでしょうか。多分イエスさまは、雨が降っても傘も差さず、そして、ご自分の危険も省みず、私たちを受け留めるために手放し運転をして、それで捕まってしまわれたのだと思います。


(教区主教)