らくだはずぶぬれ                      主教 ステパノ 高地 敬

  「いただいたパン(ウェファー)を口の中で二つに割って、うまく割れたら今日はいい日だと思う」と、ある神学生が言っていました。なんと不届きなと思いましたが、実は私もウェファーが上あごにくっつきそうなとき、「レモン、レモン」と口の中で言って、口の中の水分補給につとめたりします。
 「聖歌○○番」というサーバーの声にあわてて聖歌集を開いたら、ちょうどそのページだったということが年に二、三回あります。心の中で思わず「ラッキー」とVサインを出して、「今日はいいことあるぞ」と思います。礼拝が終わるとそのことを忘れていたりしますが、だれでも「今日はいい日」と思いたいようです。
 知的障がいのある人たちの施設の止揚学園で作られた「よい天気ありがとう」という歌があります。「よい天気ありがとう/雨がパラパラ降ってます/神さまほんとにありがとう/花も草も喜びます/山も川も喜びます/みんなみんな喜びます/よい天気ありがとう。」
 晴れの日だけが「よい天気」ではないなどと言うと、道徳の授業みたいですが、「よい日」「よいこと」ということを私たちは自分の都合で決めているようです。本当は今日も明日もあさっても、神様がたくさんのお恵みをくださる日なのですが、それが自分に都合のいいお恵みでないと困るのです。
 雨が降っていて外に出られないけれども、誰かにとっていい一日が始まっている。あんまり好くないことがあったけれども、神さまが私にそのようにしてくださったのだなと、後になってからでも感じることがあればいいなと思います。
 この歌の2番はこんな歌詞です。「悲しむ人も喜びます/私の顔も笑います/みんなみんな笑います/よい天気ありがとう。」


(教区主教)