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大股のらくだ 主教 ステパノ 高地 敬
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加茂川のほとりを車で走っていて、後ろに座っていた相方が、「あれ、ユリカモメやな」と言うので、変だなと思いました。あそこの電柱の上にいる黒いものは、どう見てもカラスだろうと思いながら、ふと川の方を見ると、白い鳥がたくさんいました。相手がどこを見ているか全然気にしないでお互いに話しておりました。
別の日、昔の汚職事件のことをうちで話してたら、「どこのおしょくじけん?」「日本のやけど」「それがどうかしたん?なんか良くなかったんか?」なんだかおかしい。話が合いません。何度も聞いてやっと分かったのですが、相方は「お食事券」のことを言っていたのでした。イントネーションも全く同じ言葉なので分からなかったようです。同じ言葉を聞いても、別々のことを思い浮かべてしまう。これも結構たくさんあるようです。
お互い理解し合っているようで、全く理解していない。それが分かったとき、本当にがっかりします。こんなに一所懸命に話したのに。こんなに長い間一緒にいるのに。私たちお互いの間や神さまとの間にはいつも深い溝があって、簡単には向こうに行けないようです。分かってくれない相手が悪いんだとも思います。
弟子たちはイエスさまが捕まったとき、がっかりしました。思っていたような人ではなかった。捕まって殺されるんだから、もうこれ以上付いていくこともなくなった。一方、イエスさまは弟子たちと付き合っていて、「分かる努力をちょっとでもしているのかい」と責めたくもなられたと思います。でも結局、目の前にある溝を体をはって埋め、私たちの間の溝の橋渡しになってくださったのがイエスさまでありました。我々はその上を、イエスさまを踏み越えて、向こう側へ行けるようになりました。
(教区主教)
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