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らくだの目に涙 主教 ステパノ 高地 敬
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よその教区の主教さんが、「葬送式の最中に、会衆席からドラエモンの着メロが鳴って、立ち直るのにしばらくかかった」と書いておられました。以前、ある会議の開会のお祈りが始まってすぐに、バッハの「トッカータとフーガ、ニ短調」がある司祭さんのポケットから鳴り始め、あわてて出て行かれました。私の耳にはバッハというより、嘉門達夫の「チャラリーン、はなからぎゅーにゅー」としか聞こえませんでしたので、お祈りの最中に笑うこともできず、涙を流しながらこらえておりました。その司祭さんが着メロを止めて戻って来られ、席に着かれると、またすぐに「はなからぎゅーにゅー」が始まり、まだお祈りが続いていましたので、悲しくないのに涙がいっぱい出て、おなかも痛くなりました。
イエスさまは、おなかがよじれるくらいに人々を深く憐れまれたとか、怒られたとか言われますが、笑われたとはどこにも書いてありません。私たちは、イエスさまを中心とした集団が三年間ほど活動して、生命の危険が迫る中でいつもまじめに祈り、働き、議論をし、助け合っていたのだろうと思うのですが、実際には弟子たちはイエスさまのことがあまり分からないで、緊張の中でも適当なことをがやがやしゃべりながら歩いていたでしょうし、時には大笑いするようなことがなければ、三年にもわたる移動しながらの共同生活はもたなかったのではないかと思うのです。
本当にまじめな私たちですが、時には教会でもおなかがよじれるくらいに笑えればと思います。何でも長続きする秘訣は「笑い」でしょうから。
今度「チャラリーン」と鳴ったら、その場でおもむろに電話に出て、「あっ、神さま?ちょっと今礼拝中ですからまた後で」って、ぜひ言ってみたいと思いますが、涙をのんでこらえます。
(教区主教)
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