お返しにらくだ                      主教 ステパノ 高地 敬

  この間、私は歳が大台に乗りましたが、落ち込むこともなく、かと言って別に良いこともありませんでした。誕生日の近い姉に、結構な歳になったねというつもりで、「あと少しで還暦か?」とメールで聞きましたら、「映画とか割引になるから楽しみ」と切り返されてしまいました。
 退職された某司祭は、いわゆる「ああ言えばこう言う」典型的なタイプで、「お元気ですか」と聞くと、「元気なわけないやろ」と、いつも返されてしまいます。何にも返してくれなくても良いのに、いつもいろいろとたくさんお返しをもらって、喜んでいいのやら、よく分かりませんが。
 聖書を読んでいると、イエスさまもそんなタイプだったのかな思うときがあります。例えば、当時の神殿を見て弟子が「すばらしい」と言うと、「この建物が崩れる日が来る」と切り返されます。また、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とも言われます。これらは、「この世のものが有限であり相対的なものであることをきちんと認識せよということだ」などと解釈されるのだと思います。でも、お叱りを受けるかもしれませんが、イエスさまは、実際にはこんな気持ちだったのではないでしょうか。「何かごたごた言うとるけど、別にどっちでも良いんじゃない?何でそんなこと気にしてるの?そんなかちんかちんの頭で考えてると疲れるんじゃないの?何かにとらわれていることの方が問題大きいと思うよ。」
 イエスさまはこの世のはかなさからも、いわゆる正しい考え方からも、すべてから自由だった。だからみんなに、ああ言えばこう言ってくださったのではないでしょうか。お祈りの中で、イエスさまから大切なお返しをいただいて、「あっ、そうなんだ、そんなんでいいんだ」と楽になれればと思います。


(教区主教)