昼間だとなんでもない道ですが、暗いと怖い。車止めにぶつかるかも知れませんし、突然人が現れます。逆に歩いている人からすると、「前から来た自転車の男に驚かれ、とても心外だ。」
昔の夜道は大変だったと思います。ろうそくをつけた提灯の時代が長かったと思いますが、その前は油の明かりでしょうか。雨降りの夜はどうしたのでしょう。月明りだけで結構明るい一方で、月が出ていなければ真っ暗です。忍者のように、「夜陰に乗じて」ということもありますが、昔はできるだけ夜は出歩かなかったのでしょう。
モーセに率いられてエジプトを脱出した人たちについて、「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。」いつ休んだのか分かりませんが、とにかく夜も明るかったようです。夜には神さまが灯となってくださる。
2000年前のベツレヘム近郊の羊飼いたちも、暗い中を懸命に救い主の生まれたところを探したのだと思います。今も、暗い中で怖くても歩かないといけない人たちがいますし、心の中に闇を抱えていて、その中でも歩かなければならないことがあります。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ1:5)」輝く光があるけれども、それで暗闇がなくなったわけではないようです。明るい昼間に灯はいらないのですが、心に闇が残っている限り光が必要で、その光は私たちにとって、「神の言」であるイエスさまでありました。
神学生の時にもらった壁掛けには「あしたのあさまでおまもりください」と書かれています。私たちも同じようにお祈りできればと思います。「私の内と外とに闇があるときは、ずっとお守りください。朝が日の光で明るくなるように、私の心にもあなたの光が差しますように。」
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