1891年(M22) 日本聖公会第3回総会で東京(石川・岐阜以東の本州)、大阪(本州の残りの
部分と四国?)、熊本、函館の4地方部制となる。
1896年(M29) 英国S.P.G.のW.オードレー主教、大阪地方部初代主教に就任。第5総会で
東京北部、東京南部、京都、大阪、熊本、函館の6地方部が設置された。
1899年(M30) 米国聖公会臨時主教会で京都地方部初代主教にパートリッジ師を選出。
神戸にいた英国S.P.G.のH.J.フォス師が大阪地方部伝道主教に就任。
1923年(T12) 第14総会で東京、大阪教区設置の件、可決。従来の大阪地方部の残りの部分を
「神戸地方部」と改称する。北海道、東北、北東京、南東京、中部、京都、神戸、九州の
8地方部と東京、大阪の2教区となった。
後に沖縄教区を加えて11教区となる。
大阪地方部から京都地方部が分離された時には、大阪は大都市ですので、米国ミッションが担当する教会は京都地方部が、英国のミッションが担当する教会は大阪地方部の管轄となっていましたが、大阪教区成立の際にそれが解消されたようです。
教区成立の少し前、100年前の1921年晩秋に川口基督教会の名出保太郎司祭が入院され、川口を管轄していた京都地方部のタッカー主教は次のように書いておられます。(要約)
「私のクリスマスは忙しいものでした。24日(土)和歌山の笠田村での夕方の礼拝、その後の鶏鍋も食べずに和歌山に移動、宿泊。25日早朝に大阪に移動。川口でクリスマスの礼拝、8人の幼児と13人の大人に洗礼。礼拝後コロッケとビーフステーキの昼食。午後、日曜学校の祝会。その後、京都聖マリア教会での礼拝。地方の教会の礼拝のため月曜から木曜夜まで連続して旅行しました。」なんと超人的なと感心します。その上で、「日本人は未信者の友人をクリスマス礼拝に連れてきますので、この礼拝は福音伝道の強力な手段なのです。」
とっても嬉しい礼拝だから、知人とそれを分かち合う。聖職は忙しいけれども、「伝道」の本来のあり方について言われておりました。
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