基本的な編集方針が違うためか、マルコとヨハネはイエス様が活動を始められた頃のことから書き始め、マタイとルカはイエス様がお生まれになった時のことから始めます。その上、マタイでは「占星術の学者」が「ユダヤ人の王」を探してやって来るのに、ルカでは「羊飼いたち」が「救い主」を訪ねてきます。
これらの聖誕物語を受けて、クリスマスのページェントでは学者と羊飼いが同じ舞台に登場することになります。ご聖誕という喜びの場ですから、にぎやかな方がいいのでしょう。出てくる福音書が違うから一緒に登場してはいけないという主張を聞いたことはありません。
以前見に行った平安女学院のクリスマス・カンタータは、大学では学者たちがしずしずと歩いてくるのに、中学・高等学校では足音を立てて爽快に勢いよく登場します。大変豪華な服装になっている学校もありました。天使もずいぶんいろいろいます。舞台を監督する人の個性が表れます。どのように福音を受けているか、どのようにすればご聖誕の喜びをより良く伝えることができるか、考えてのことだと思います。
先日お訪ねした教会の礼拝堂にクリスマスのクリブが飾ってありました。小さいものでしたが、飼い葉桶のイエス様にマリアとヨセフ、占星術の学者3人、羊飼い2人、羊1頭、牛2頭がそろっていました。天使も一人いたかも知れません。クリブは家畜小屋のようなもの(聖書には「飼い葉桶」としか書いてないのですが)があって、イエス様と両親が真ん中で、その周りに学者と羊飼い、後ろの方に天使、手前か左右の端に羊がいるという配置が一般的だと思います。その教会のクリブも大体そのような感じだったのですが、2頭の牛が小屋の中でうずくまって聖家族を見ているのが、何となく不思議で、でも、愛嬌もありました。
教会の信仰に限らず、物事の受け止め方や考え方は、人によってまちまちです。それが互いに尊重される社会であってほしいと思いますが、実際には難しいようです。自分とはいろんな点で違う人に出会うことこそが、私たちの生活や心を豊かにするはずなのですが。
私たちの救い主のご聖誕そのものにいろんなイメージを持つことが許されていますし、イエス様ご自身が自分とは違う人たちと出会い、一人ひとりを大切に思ってくださっておりました。
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