私も若いころ下手なギターを弾きながら、この歌を歌うというより叫んでおりました。叫びながら、こんな世の中、いいことがたくさんあるわけでもないし、好きでもなんでもないと、気持ちをはき出していたのだろうと思います。はき出してほんの少しすっきりして、次の日を何となく生きていく。そんなことの繰り返しだったのだと思います。
「人のためによかれと思い
西から東へかけずりまわる
やっとみつけたやさしさは
いともたやすくしなびた」
人を信じて孤軍奮闘したのに裏切られてしまったような経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるのだと思います。そのため、人に期待しないこと、いい結果も期待しないことを学ぶようになるのでしょう。そして、世界がそんなに単純にはできていないことも学ぶのでしょう。
「春をながめる余裕もなく
夏をのりきる力もなく
秋の枯葉に身をつつみ
冬に骨身をさらけだす」
一年中つらい毎日が続いて、自分の小ささや哀れさを感じて一層しんどくなります。たまにいいことがあっても、ホッとする間もなく季節が移ってしまいます。でも、こんなことばかりでこれからもやっていけるのでしょうか。
次はささやくような声で彼は歌います。
「今日ですべてが終わるさ」
こんなことがいつまでも続くわけがない。必ず終わりがある。そう思わないとやっていけないじゃないですか。今日で終わる。多分終わる。終わってほしい。
歌う声がだんだん大きくなってきます。
「今日ですべてが変わる」
世界も社会も変化し続けています。いい方向へ変わらなければなりません。でも、いい方向って何でしょうか。ひょっとすると、誰にとってもよくない方向こそが、いい方向なのではないでしょうか。つまり、自分自身が変わること。
「今日ですべてがむくわれる」
誰かが自分に思いのたけを語ってくれて、これまでのことを自分なりに納得する日が来るかも知れません。間違いだらけだったけれど、とにかくよくやって来たと自分に言う時が来るかも知れません。
「今日ですべてが始まるさ」
これからは今までと全く違う楽な暮らしが始まればいいのですが、多分これからもしんどいことが次々に起こるでしょう。でも、きっと何かが違う。気が付けば自分もほんの少し変わり、周りも少し変わっている。だから同じように辛くても、もう少しやっていけそうだ。
「神が彼らの目から涙をことごとく拭われるからである。」
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