てしまった弟。兄は弟がまだ自分を慕ってくれているものと思って、刑務所からせっせと手紙を書きます。毎月毎月、そして何年にもわたって手紙を書きますが、弟は返事を出すことなどできません。せっかく就職しても、兄が強盗殺人犯だと分かると職場でうまくいかなくなる。兄があんなことさえしなければ自分も幸せな日があっただろうに。別人格なのだから、自分が世間から悪く言われるのは全く不当だとも考えます。けれども、自分のことを理解してくれる上司と話した時に言われるのは、そのような兄を持ったことから決して逃れられないということでありました。弟は兄に絶縁状を送りつけることになりますが、最後のシーンは涙なく読むことはできないものでした。
とても大きな不当な重荷を背負わされてしまう。それを甘んじて受け入れようとしたり、拒絶しようとしたり、本当にしんどい中で揺れ動き続ける。聖書の中でも、イエス様の両親は二人の関係について世間から不道徳とみられ、自分たち自身も大きな罪悪感を持ったはずです。それでも子供が生まれてくるという現実を受け留めなければなりませんでした。天使のお告げがあって、ただならぬことが起こっているということは分かりつつ、でも現実はとても厳しいものでありました。イエス様が成人し、その後、思いもよらぬ活動を始めて、ますます人から白い目で見られ、その後は十字架刑となって、両親にとっても本当に悲惨であったと思います。けれども、自分の身に起こっていることは現実のことで、その中で生きていくしか方法はありません。
『手紙』の作者は、兄弟のうち弟が兄を絶縁したらうまく生きていくことができるとか、兄が弟に謝って二度と手紙を書かないようにすればいいのだとか、そんな解決策は示さないまま、もっと大事なことを言外に示しながらこの作品を閉じているように感じました。苦しい中でずっと頑張りつづけなければ生きていけない。現実の状況は月日がたっても何も変わらない。聖書の中でも、具体的な解決策が示されているというより、それ以上の最も大切なことが伝えられておりました。
イエス様の両親。とても若い、人生の経験もほとんどない二人でありましたが、子どもが生まれた後も次の場所に向かって歩き続けるしかありませんでした。けれども、二人の腕の中には生まれたばかりの赤ん坊がいて、神様の思いを伝える大切な使命がありました。
「とてもつらい厳しい状況は変わらないだろう。けれどもその中で懸命に生きているあなたが誰にも理解されなくても、その苦しさをわたしが知っている。」
イエス様の両親と同じような旅を続けている私たちにも神様の思いが伝えられます。しんどくてもずっと頑張りつづけるしかない時にこそ、その思いが伝えられようとしています。「あなたの苦しさを私が知っている。もう一人だけでそれを負っていかなくてもいい。もう十分だ。」
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