主教メッセージ
2004年12月25日  降誕日(A年)


主教 ステパノ 高地 敬

牧者は小羊 ―羊となるために生まれた―

 「こどもといっしょキャンペーン」の一年が過ぎました。先月の教区会の後に分かち合いの時間が持たれ、さまざまな思いが活発に交換されました。その中で「こどもと共にいること」や「おとな自身が変わっていくこと」の大切さに改めて気が付かされました。
 その後も折にふれ考えていて、こどもの不思議な目線のことに思い当たりました。こどもは景色がいいところでも下ばかり見ていることがあります。視線の先を見ますと、なんでもない小さな虫がいたりします。「こどもといっしょ」にいると、普段気づかない方向へと視点を変えてもらうことができるのでしょう。
 クリスマス物語に登場する人たちの間に羊たちがいます。弱いものの代表のような羊たちは、やはりいつも下を向いているようです。その羊を飼っている人たちも、いつも何か不安な気持ちを抱えて生活している人たちです。こどもが下を見ているのとは意味が少し違うかも知れませんが、羊も羊飼いも下を向いて生活をしていて、私たちにも多かれ少なかれ、そんなところがあるなと思わされます。
 クリスマスの聖家族のクリブには何人かの羊飼いと羊がいて、真ん中には赤ん坊の救い主がおられます。救い主は羊のような人々の中に生まれられました。そして、後にそんな人々を宣教に遣わされます。
    わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。
    だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。(マタイ10:16)
 狼に食べられないように気をつけなさいと言われているのですが、どうもそれだけではないように思います。「羊のように弱いあなたがたが、狼のような強さを得ようとするのか。むしろ弱いところをたくさん持って生きているのがあなた方ではないのか。そのまま生きていくために賢く、素直でありなさい」ということかも知れないと思うのです。羊が狼になったら、新しく羊を作り出すだけなのはもちろんのことですし、イエスさまというとても不思議な方ご自身が、本当に羊のようになられたのではなかったでしょうか。そんなイエスさまを受け入れるためにこそ、賢く、素直でなければならないと思います。
 私たちを含め、世のすべての人を救うためにこの世に来られた方は、羊となって十字架にかかられました。十字架の上でうなだれているその方の視線の先には小さな小さな私たちがありました。イエス様に見守られていることを覚え、また、羊となるためにこの世に生まれてくださったことに心からの感謝を献げたいと思います。
    玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となられる。(ヨハネの黙示録7:17)