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管区事務所だより
2005年1月25日 第192号
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□「日本キリスト教協議会」(NCC)の働きと使命とは  □MJM研修に参加して


「日本キリスト教協議会」(NCC)の働きと使命とは


西原廉太(中部教区司祭・NCC副議長)

 みなさんは「NCC」という名前を聞いたことがおありでしょうか。日本キリスト教協議会というのが正式な名称です。戦前に誕生した日本基督教連盟の時代から数えて、60年以上の歴史を持っている協議体です。日本における主要なプロテスタント各教派、団体はほとんどすべて加盟している、いわゆる「エキュメニカル運動」の推進母体です。もちろん私たち日本聖公会も正式加盟をしており、日本基督教団に次いで大きな加盟教会です。

 現在、NCCは三つの部門によって構成されています。第一には、宣教・奉仕部門です。正義と平和をめぐる諸課題について積極的な取り組みを担う諸委員会の活動が中心となります。正義と平和という課題をめぐっては、聖公会はもちろん、それぞれの教派・団体でも独自に取り組んでいます。しかし、一方で、単独の教会や団体ではできない働きをNCCというエキュメニカルな場で行うことが求められる場合があります。例えば、大誉祭のような行事を国家的に行うというような事態に際しては、NCCは福音派の連合体である日本福音同盟などとも協働して、政府に対して言葉を発します。そのように集められたキリスト者の声は、たとえ少数であってもかなりのインパクトを与えます。また、今回のスマトラ沖地震による津波といった世界的規模の災害や出来事などの際には、アジア・キリスト教協議会(CCA)や世界教会協議会(WCC)といった回路を通して世界レヴェルのネットワークを生かした動きが可能です。

 第二は国際関係部門があります。前述したCCAやWCCといった世界ネットワークを通して、国際的な協働関係の中に日本のキリスト者も加わる場を提供しています。とりわけ、韓国、フィリピン、ドイツ、アメリカ等々のNCCとは深い繋がりがあり、協議会や、奨学金の設置、人的公流なども行っています。政府間では外交関係が困難な、北朝鮮や台湾、中国等々とも独自のパイプをNCCでは持っており、民間レヴェルの外交にも寄与しています。

 第三は、神学・宣教部門です。エキュメニカル運動のもう一方の重要なテーマは、神学や宣教という軸における教会間対話です。信仰と職制委員会は、世界レヴェルでの教会間対話を常にリサーチしており、究極的な目標である教会再一致、共同聖餐式の実現に向けた努力を行っています。WCCの信仰職制委員会にはローマ・カトリック教会も正式加盟しており、カトリック、東方諸正教会、聖公会、プロテスタント諸教会の代表者が、何百年以上にわたる教会間の神学的分裂の一つひとつをていねいに摺り合わせる試みをしています。例えば、西方教会のニケヤ信経の「聖霊は父と子から」という表現をめぐって、それは「聖霊は父から」発出すると理解するのが歴史的にも、神学的にも正しいとする東方教会との間に大きな分裂がありましたが、近年、WCCでは、この理解を東方に合わせた形で調停する決断を行っています。教会間対話という領域においては、聖公会が果たす役割は極めて重大で、聖公会のさまざまな判断や提案が常に世界的に注目されています。

 さて、NCCは、今総会期、この神学・宣教部門を新たに立ち上げました。それは、これまでNCCが発信してきた多様なメッセージが、それぞれの教会・信徒に十分に届いていないのではないか、という反省に基づきます。NCCから出される声明などが、それがなぜ教会の宣教的業としてのものなのかが理解し難いものであったりするために、福音的ではない、世俗の政治主張と変わらないといった批判を受けてきました。もちろんそれぞれのメッセージや行動は、何一つ福音に基づかないものは何もなかったのですが、より神学的にも、聖書的にも練られた言葉を紡いで、教会の宣教的実践として、伝えていくことが必要だという認識に至ったのです。

 原発の問題を例にとりますと、ただ単純に、「反原発」を主張するのではなく、原発をめぐってそこに生きる人々、生きざるを得ない人々の顔や、物語をていねいに拾い上げるようなことこそ、キリスト者が積極的に取り組むべき作業なのではないか、ということです。原発を動かすために、放射能にまみれた床をモップで拭きながら、被曝量によって使い捨てにされる労働者たちがいる。生活をしていくために、そこで嫌でも働かざるを得ない人々がいる。そのような犠牲の上に、私たちは電気を使っている。今の原子力行政は膨大に増えつづける核廃棄物には責任を取らない。しかし、北米の先住民であるイロコイ族は重大な決定をする時に、七世代後の子孫のことを覚えて判断するという。そんな感性、歴史観、人間観、世界観、想像力に満ちた「物語」を聖書の物語と共鳴させながら豊かに語り、また聴いていくことが、キリスト者の使命なのだということを、NCCは再度、確認しようとしています。

 イエスさまが、誰と生きようとされたか。どのように生きられたか。イエスさまが担われた十字架上の痛みは、誰の痛みであったのか。復活の主は、「死」や死をもたらすあらゆるものに対して「否」を宣言され、そしてすべての「いのち」といのちを与えるものに、「然り」と宣言されました。この福音に生きること。それが、いま・ここでのエキュメニカル、オイクメネー(共に生きる世界)での私たちキリスト者のミッションに他なりません。NCCは、このミッションを担っています。NCCにつらなる聖公会に属されるみなさんお一人おひとりが、NCCの働きにご関心をお持ちいただき、お支えいただけることを、心より期待しています。

MJM研修に参加して

2005年1月5日
執事 アルバン阿部芳克(北海道教区)


10月11日から28日まで、MJMのニューヨークでの研修に参加させて頂き、貴重な経験をする機会を与えて頂きました。

1.MJMって何?


 MJMの研修参加を申し込んではとのお話を頂いた時、MJMって何だろう?そう思いました。早速インターネットでMJMのホームページを見ましたら「メトロポリタン ジャパニーズ ミニストリー(MJM)は日本聖公会との協働のもとに、日本人並びにアメリカ人のため、色々のプログラムを用意して皆様の参加をお待ちしています。…」と出ていました。また活動プログラムとして「聖書の学び」、「日本語の祈りと礼拝」、「ニューヨーク生活順応への手助け」などと書かれていました。

;2.参加の申し込み

MJMの活動についてまだよく分かってはいませんでしたが、以下のような理由を添えて参加を申し込みました

1)ニューヨークでは宣教活動がどのように行われているかを見てみたい。
2)教会がアメリカの社会に対して果している役割について学びたい。(特にパストラル・ケアを実施している病院での研修を希望しました。)
3)ニューヨークに住む人々との交流の機会を得たい。

3.そしてニューヨーク

11日(月)午後5時15分JFK空港に到着、E-Mailで何度も連絡を取り合っていたMJMミッショナーの景山恭子さんが出迎えてくださいました。景山さんには研修期間中あらゆる面でお世話になりました。

ニューヨークでの研修内容は大きく分けると三つであったと言えると思います。

一つ目はMJMで企画してくださった研修への参加。
二つ目は自ら希望した研修。
そして、自由時間です。

4.MJMが企画してくださった研修の一部

1)プリンストンとウエストチェスターで行われた聖書会に参加しました。参加者と一緒に少し真面目な聖書の学びをし、持ち寄りの料理を頂きながらお互いに励ましあったり、個人的なことを話したり聞いたり、また情報を交換したりする仲間に入れて頂きました。

2)月に二度行われている礼拝(聖餐式)の一つに出席し、説教を担当しました。10人程の会衆でした。礼拝の後、食事をしながらの交わりに参加しました。

3)MFMの礼拝に参加。MFMはフィリピンの人々に対する働き(MJMと同様)です。礼拝後やはりテーブルを囲んで、親しい食事の時間が持たれました。

5.自由時間

自由時間も十分にありました。お陰さまで初めてのニューヨークで様々な場所に行く事が出来ました。最初に訪れたのはグランド・ゼロ、たくさんの人々が訪れていました。メトロポリタン・ミュージアム、自由の女神、国連本部、エンパイヤステートビル、イスラム教のモスク、ユダヤ教のシナゴーク等々、そして帰国間際には体調を崩して病院にも行きました。

6.自ら希望した研修に参加

アメリカは病院などにおけるパストラル・ケアに関して世界で最も進んだ国の一つであると思います。今回のニューヨーク研修では是非アメリカの病院のそのような現場で体験がしたいと思ってお願いしていました。その結果、幸いにもSt. Luke’s Hospital(聖ルカ病院)で機会が与えられました。

聖ルカ病院では聖公会の女性司祭がチャプレンをしておられました。その病院では、医師、看護師、理学療法士などの医療従事者そしてチャプレンがチームを構成して患者さんに対応していました。チャプレンの役割は主に患者さんの魂のケアを担当するということでした。私は、チャプレンはもっと独立した存在なのかと想像していました。しかし、その予想とは異なり、完全にチームワークの一端を担う存在であり、チーム全体が極めてシステム化された構造になっていることを知りました。またチャプレンになるための訓練、試験、資格などは実に明確確立にされており、運用されているようでした。十分な訓練後、試験を受け、人格に対する配慮ができる高度な技術レベルに達した人だけが資格を認定されるとの説明でした。

この病院におけるチャプレンの働き方についての彼女の説明は概ね次のようでした。

@共に居る(その場面に居る)。
A自分が居ることを示す(Beeperで呼ぶことはいつでもOK)。
Bチームミーティング(Unit Meeting)に出席する。
C委員会の中でPastoral Careとは何かについて教える。

 チームは一体となって働いており、様々な角度から患者さんの「いのち」に関わっているとのことでした。患者さんに対するケアプログラムの説明を聞きその綿密さと丁寧さに驚きました。あらゆるケースが想定され、マニュアル化され訓練されているようです。さらに、キリスト教のチャプレンだけではなく、イスラム教など他の宗教のチャプレンも同僚として働いているとのことでした。

 チャプレンと同行して病室を回っている時、ポケットベルが鳴りました。彼女は呼び出し元に電話をして用件を確認すると、その該当者である50歳位の男性患者の状況について説明をしてくれました。彼は数ヶ月前、心臓の手術を受けて順調に回復していた筈なのに、ある日突然意識を失い、あらゆる手当てをしたが意識が戻らず、そればかりではなく生命維持装置をつけなければならなくなったとのことでした。ポケットベルの呼び出しの理由は、植物状態になって回復する見込みが無いまま、数ヶ月の間看病し続けてきた家族が、その生命維持装置を取り外す決心をしたので、病室に来て欲しいというものでした。その時、病室に同行はできませんでしたが、やがて出て来たチャプレンの説明によれば、彼女は家族の話を聞き、患者さんと家族のために、手を取って祈ったそうです。生命維持装置の取り外しには、チャプレンのサインが不可欠とのことでした。僅か2時間ほどの訪問でしたが、「いのち」に関わる仕事の重要さを改めて見せて頂きました。同時にその役割を担う人を養成するために十分に考慮された学びの確立と訓練、そして患者中心の医療現場に大きな感銘を受けました。
事務所だより Jan. 05
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