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2002年10月25日 168号 《速報版》
日本聖公会管区事務所
〒162‐0805 東京都新宿区矢来町65
電話03(5228)3171
FAX 03(5228)3175
発行者 総主事 司祭 三鍋 裕
 



平 等 な 貧 し さ
管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕

 ずいぶん前に何かで読んだ記憶があるのですが、こんなことが書いてありました。終戦直後は、ある意味で良い時代であった。皆が平等に貧しかった。富んでいる人もいなかったし皆が貧しかったので、だれも貧しいことを恥ずかしいとは思わなかった。えらい先生でも平気で米を借りに来ていた。決してその時代に戻りたいという意味ではないだろうが、わかるような気がします。昔、横浜教区の教区報に「日本では周りが豊かで聖職だけが貧しいので困るけれど、英国では皆が地味な生活をしているので給与の安さが苦にならない」と書いたら、この原稿はボツになった。

 最近ちょいとした病気で皆様にご心配とご迷惑をかけてしまいました。夏の疲れかな位に思っていたら、胃がやられて救急車で高度救急救命センターへ運ばれ、酸素マスク、心電図モニターなどでフル装備の重病人スタイル。「胃だけならすぐに治ってまた飲めますね」と言ったら、「そんなことを考えている状況じゃあないでしょう」と医師に叱られた。命に別状がないと思っていたのは本人だけだったようです。最初は水も飲ませてもらえなかったけれど、何日かして重湯が出た。さすがにプロの仕事、コップに3分の1位の米粒が一粒も混じっていない完璧な重湯。素人ではこんなのは作れない。最初のうちはこの重湯でもありがたかったのだが、そのうちに他の人はもっとおいしそうな食事をしているのに気が付いた。病気の性質が違うのだろうから仕方がないけれど、やはり面白くない。看護師は「命が助かったからこそのご不満です」という感じ。他のご病人と比較して重湯だけのみを嘆き、「何、私はすぐに退院しておいしいものを自由に食べられるさ」と慰め、忙しいことである。皆が重湯を食べていたら問題なかったのに。

 暇だから考えたのでしょうが、自分が不幸か幸せかなんて、わかるようなわからないような問いですね。多くの場合、上を見て下を見て、そして横を見回して適当に決めているような気がするのです。同じレベルの人が多ければ、まあこんなものかなと納得し、周りに豊かな人が多ければ寂しい思いをし、周りに自分よりもさらに貧しい人が多ければなんとなく豊かな気分になって満足してしまう。自分の持っているものは変わらないのに、周囲の状況によって自分が勝手に上がったり下がったりする。気を付けないと「他人の不幸を見るほど楽しいことはない」なんて心境はあまりに寂しい気がするのです。周囲に決めてもらわなくても良い自分の姿を見つけたい、それを見つめたいと思うのです。今日という日、私は神様の御目にはどのように見えているのかを大切にしたいのです。

 世の中問題だらけ。その多くは貧富の差から出ているような気がします。富も能力もすべてのものを主の賜物として受け、主に献げるはずの私たち、まったく平等な貧しさとは申しませんが、貧しき私たちをさえうらやましく見ている人の多いことにも心いたしたいと思うのです。ほんの少し富めるほうではなく、貧しいほうに心を向けるときに何か新しいことが始まる気がするのですが。
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