バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第七部 その2-(5)
ヨハネにおける愛
降下する愛
アガペーを使っているのは、その文書量の割合から 云うと、聖書の中てヨハネ文書が一番多い。パウロにおいては「恵み」が前面に出ているので、「恩恵の使徒」 と呼び、ヨハネは「愛」だけに集中していますので「愛と使徒」と呼ぶことも出来ます。
「神はその独り子をお与えになる程 に世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨ ハネ3;6)。
ヨハネにおいては、イエスは世界が創られる前から神と共におられました「独り子」であり「御子」です。イ エスが地上を歩まれたのは、御子を神が遣わされた結果なのです。十字架に至るイエスの生涯は「永遠にいま す」神の御子が「肉体」を取って私たち人間の前に現れた姿です。このイエスを遣わされた方を信じることが神 の愛を受け入れる事であり、神が与えて下さる永遠の命に与ること、すなわち救いなのです。イエスが世に現れ たこと自体が、神の顕現そのものです。ヨハネにおいて愛は基本的に「降下する愛」、即ち上なる者が下にいる 者の所に降りてきて、下の者を救い上げると云う方向性を持つものです。
互いに愛しなさい
イエスは 光と命の世界から、闇と死のこの世に下って来られて、神のいのちの質である愛を、その愛を全然 知らないこの世に知らされた。ヨハネ普福音書のイエスは初めから終わりまで、ただ神を信じきることだけを世 に求めておられる。
「愛する者たち、互いに愛し合いま しょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのな い者は神を知りません。神は愛だからです」(Tヨハネ 4;7〜8)
「いまだかつて神を 見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまって下さり、神の愛が私 たちの内で完っとうされているのです」(Tヨハネ 4;12)
「神はわたしたちに、ご自分の霊を 分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神も私たちの内にとどまって 下さることが分かります」(Tヨハネ4;13)
これが、無条件絶対の愛が兄弟愛として成立する場です。神はイエスを信じる者に、復活されたイエスを通し 聖霊を与えて下さいました。この御霊こそ、私たちが死から命に移ったことの実質であり、「アガペー」を可能 にする力です。神の霊とは、神の命の質である愛の霊です。
まだまだ挙げるべき聖句は多いのですが、あとは皆さまが選んでください。
最終回「希望は」第8部に記載します。 芦屋聖マルコ教会信徒 畑野栄一編
バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物 語』
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