バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』 第三部・その1(2)
「福音」の内容を説明する言葉を聖書の中から探すとすれば、色々大切な言葉を見出しますが、まずパウロの使徒性ついて、聖書はどう云っているか? 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために召し出され、召されて使徒となったパウロから」(ローマ書1;1)。 使徒(アポストロス)と云うのは、ある事柄を伝える為に神から遣わされた使者のことです。(ガラテヤ、1;13〜17)にはパウロがキリスト者を迫害することから、キリストに召されて回心すると云う、自己紹介があります。コリント教会では「パウロは使徒なんかじゃあない」と云うある勢力の批判に対して「前略・・・私は私たちの主イエスを見たではないか…後略」(Tコリント9;1)と反撃しています。使徒であることを問題にされては、キリストの生前、自分の肉眼でイエスに従ったことのないパウロも、霊で出会い導かれたイエスを持ち出さざるを得ないのです。(がラテヤ1;1)には神からの恵みと選びによって、召し出された自分の使徒性を言っています。神のめぐみと選びとは、同じことです。選びは最大の恵みなのです。選ばれたその人が素晴らしいのではなく、伝える出来事の内容が素晴らしいから、恵まれているのです。パウロは召し出されて、異邦人に対する使者となりました。私たちはユダヤ人ではありません。異邦人です。パウロの言葉を大切に聞きましょう。パウロの使信と云うのは、啓示されたキリスト・イエスを、福音の内容として伝えることでした。パウロはこのダマスコ途上の自分ひとりの経験だけに頼ってキリストを述べ伝えたわけではありません。多くの人がキリストと出会ったその経験を共有して、客観的な事実としてイエス・キリストの啓示と共に宣べ伝えたのですが、自分に伝えられたその伝承(ケリュグマ)を告知の根幹としたのです。そのケリュグマのことを先ず。学びましょう。
エルサレム・ケリュグマ――イエスが復活された直後のエルサレムには、勿論殆どユダヤ人ばかりが住んでいました。大部分はエルサレムで育ったパレスチナ・ユダヤ人で、ごく小部分(15%位と云う推定もあります)のギリシャ語を語るデイアスポラ・ユダヤ人も住んでいました。その人たちに対しておもに12弟子が告知した内容は次のようなことです。
1、イエスの復活は復活されたイエスの顕現を体験した弟子たちの証言する事実ですが、彼らは同時にその出来事は聖書(旧約)の約束を成就する出来事だと告知しました。すなわち神が終わりの日に成し遂げると約束された預言が実現したのです。イエスの復活によって終わりの時代が開始されたのです。 《復活のキリストの告知》
2、その終わりの日における神の支配を完成する為に、すぐに栄光のうちにキリストが来臨され、世界を裁かれることを告知しました。 《来臨のキリストの告知》
3、そのメシア・キリストであるイエスが十字架につけられて死なれたのは、その死を民のための贖罪の場にする神のご意志によるものであって、イエスをキリストと信じた者は、そのキリストの贖罪にあずかって罪が赦されることを告知しました。 《十字架のキリストの告知です》
4、復活してキリストとして立てられたイエスは、このイエス・キリストを信じる者に。聖霊を与えて下さる方であることを告知しました。 《聖霊によってバプテスマするキリストの告知です》
5、イエスはダビデの子孫であり、メシア・キリストはダビデの子孫から出るという聖書の預言を成就する方であることを告知しました。 《ダビデ・メシアの告知です》弟子たちが福音告知の活動を始めた時以後――すなわちキリストの復活以後――は、弟子たちは、イエスの生前の活動を語らず、死者の中から復活して、キリストとして立てられたことを証言し、このエルサレム・ケリュグマをユダヤ人や異邦人に告知しました。そのイエスの受難と復活がやがて他のイエス伝承と組み合わされて、「福音書」として福音伝道に用いられるようになるのです。
バルナバ栄一の『「信仰・希望・愛」の展開の物語』
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