バルナバ栄一の「聖書談話」(マルコによる福音9・10) (2)
皆で話し合う「マルコによる福音書(9・10)」
マルコによる福音書3章7節〜35節
十二人を選ぶ(マタイ10:1〜4、ルカ6:12〜16)
13イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らは直ぐそばに集まって来た。14そこで、十二人を任命し、使徒と名づけられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、15悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。16こうして十二人を任命された。シモンにはペテロと言う名を付けられた。17ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この2人にはボアネルゲス、すなわち「雷の子ら」と言う名を付けられた。18アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、19それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエスは山に登られました。「十二人」を創りだす為に。後のキリスト共同体の初まりです。山の上では勿論、イエスの祈りから始まりました。昔モーセはシナイ山に登り、神から古き律法が与えられ、雑然たる十二部族の集団に過ぎなかった群衆が、シナイという山において一つの団結に編成されました。それにもまして、厳粛な時が来たのです。市川師は「十二人の創設」と言う言葉を使っておられます。マルコでも、その人たちに「使徒」と言う言葉を使ってはいますが、《遣わされた者たち》とか「使者たち」の意味であろうと言われています。目的は、第一に、自分の傍に置いてイエスと生活を共にし、イエスの中に来ている《神の支配》を経験させ、諸民族に述べ伝える為であり(彼らが伝えた内容が伝承され結集されて四つの福音書となり、今日の我々もイエスの言葉と業に接する事が出来る)、第二に、必然的に、彼ら弟子の使命は、遣わされて《神の国を宣べ伝える》ことになる。所で「神の国を宣べ伝える」ことと「悪霊を追い出す」ことの二つは、イエスの働きを要約して述べる時には、いつも一対で用いられる表現である。このことから、イエスが「十二人を創設された」のは、彼らをいつも自分と一緒におらせてご自身の業の目撃証人とするだけではなく、ご自身がされているのと同じ業を彼らにもさせ、彼らをご自分の働きの継承者とするためであった事が分かる。どのような12人であったか? いつも「十二人」の筆頭に来るのがシモン・ペテロである。ヘブル名は「シメオン」であるが、ギリシャ音読みで「シモン」と呼ばれていた。「バルヨナ」と呼ばれている(マタイ16:17)ことから、ヨナの子(或いはヨハネの子)である事が分かる。アンデレの兄弟である。ペテロは既に結婚していて恐らく子どももあったであろう。イエスは彼に「ケパ」という名(アラム語で岩)を与えておられる。もうひとり、マタイを取り上げましょう。この人が取税人であったことはレビの所で取り上げた。タダイの名はルカのリストには無く、代わりに「ヤコブの子ユダ」があげられている。十二人の中に2人のユダがいたことは確かであると考えられ、(ヨハネ14:22)同名の者がいる時には副名を用いて区別するので、ルカは本名を伝え、マルコとマタイは副名のタダイを用いたと思われる。彼らの出身や経歴を見ると、漁師や取税人や熱心党員というように様々な職業や違った立場の人たちが混じっている。その中に律法学者はいない。イエスは「無学な只の人」「地の民」を選んで新しいイスラエル、まことの神の民を創設される。イエスの魅力と勇気を弟子は受け継いで働く。(ここまでは市川喜一師のご著書を紹介しながら記しました)。
バルナバ栄一の「聖書談話」
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