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高齢者は宣教の担い手
もしあなたが高齢者であるなら、豊かで自由な時間をどのように使いますか。

高齢期の豊かで自由な時間は、私たちひとりひとりに、人生の完成のために神さまから与えられた賜物です。身体は弱るかもしれません。しかし、魂の成長は、心構えと準備により最後まで続けることができます。


人生の完成は、周囲の人たちと「共に生きる」ことによって達成されます。

私たちは、東京という大都市に遣わされています。この社会は、100人のうち99人がクリスチャンでない社会、また高齢者の自殺や虐待にみられるように、高齢者にとって苦痛と悩みの多い社会です。私たちの人生の完成は、これらクリスチャンでない人々、苦しみの中にある人々と無関係には成し遂げられません。



私たちは、与えることによって生かされ、真に喜ぶことができます。


私たちは、歳をとるにしたがって、与えられることを期待し、また高齢者には与えなければ、と思っていないでしょうか。

神さまが、私たちに多くの賜物を下さっているのは、それを自分のためではなく、隣人のために使うためなのです。


高齢者は、福音宣教の重要な担い手です。

福音宣教は、共に人生の意味を考えるところから始まります。そのきっかけを与え、完成させて下さるのは神さまです。ことさらに声を張り上げる必要はありません。愛するということは、その人のありのままを受入れること、受け入れるとは、耳をかたむけるということです。


あなたの教会は、高齢者の働きのための支援プログラムをもっていますか。

教会は、私たちの母船です。慰め、癒し、元気を与え、そしてまた送り出します。

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