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管区事務所だより 2005年7月25日 第198号 Page1/2 |
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□ACC-13に出席して □戦争とテロの中で「平和」を問う □日韓聖公会宣教協働合同会議 □2005年沖縄週間/沖縄の旅(報告) □日本聖公会全国青年担当者の集い報告 |
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北海道教区主教 ナタナエル 植松 誠 | ||||||||||||||||||||||||
全世界に拡がる聖公会は、ローマカトリック教会のような教皇を中心に世界中にひとつの組織として存在する教会ではなく、自治自立の38の管区(4合同教会を含む)の連合体(アングリカン・コミュニオン)である。そして、多様性をもったこれらの諸管区の一致を体現する機関(Instruments
of Unity)として、@カンタベリー大主教、Aランベス会議、B首座主教会議、CACC(全聖公会中央協議会)の4つがある。 The Anglican Consultative Council(ACC)は3年ごとに開かれ、今回は第13回目が6月18日〜28日、英国ノッティンガムで開催され、代表枠一人を持つ日本聖公会からは植松誠主教(北海道教区)が参加した。 今回のACC-13は、開催前から世界中の教会やメディアの関心が集まっていたが、その最も大きな理由として、ここ数年、米国聖公会やカナダ聖公会で行われた同性愛者の主教按手や同性のカップルの「結婚」の祝福などをめぐって、世界の聖公会が分裂するのではないかという危機意識があげられる。1998年ランベス会議は同性愛に関して、「同性愛を聖書と相容れないものとして拒否する」と決議し、また同性同士の結婚(Union)についてもその祝福は奨励できないと決議している。それに続く何回かの首座主教会議でも、このランベス決議が繰り返し確認されてきたが、その中で米国聖公会ニュー・ハンプシャー教区で同性愛者でパートナーと生活を共にしているジーン・ロビンソン師が教区主教に選ばれ、総会もそれを承認し、同師が教区主教に就任したり、カナダ聖公会ニュー・ウエストミンスター教区では教区会において、同性同士の「結婚式」の式文が承認され、実際「結婚式」が行われている。 これらをめぐって、グローバル・サウスといわれるアジア・アフリカの諸管区の中には、米・加両聖公会とは聖公会の絆を断つと表明した管区もあり、また、米・加両聖公会の教会で、自分の教区の主教に反対の立場をとる人々のために、グローバル・サウスから主教が出向いて行って、教区主教の同意なしに主教按手や堅信式を行ったりしている。 このような聖公会の混迷に対して、カンタベリー大主教は特別委員会を設置し、今後どのように聖公会の一致を推進していくかを検討させ、その結果が昨年10月に出された「ウインザー・リポート」であった。そして、同リポートでの提案を受け、今年2月に北アイルランドで開かれた首座主教会議は、ACC-13に米国聖公会とカナダ聖公会は代表を送ることを自粛するように求め、米・加両聖公会はその提案を受け入れ、今回は正式な参加を取りやめ、オブザーバーとして傍聴のみとなった。 今回のACC-13はこのような事情があり、張りつめた重苦しい雰囲気で始まった。グローバル・サウスの代表の中には、米・加聖公会が傍聴していることに対する不満を漏らしたり、また自分たちの管区の同性愛に対する意見を主張できる機会を議長に要求する者たちもいた。 会議の初日に行われたカンタベリー大主教演説は、ここ数年の緊張と混乱を深く意識したものであり、渦中の人々に自制と忍耐、寛容と理解を訴えるものとなった。「私がこのように話している間にも、アフリカでは何人もの子どもたちが飢えやエイズなどで死んでいく。私たちはここで何をすべきか、何を語るべきかをよく考えよう」という言葉と、「互いに主義主張の相違があっても私たちは主の食卓に招かれ、私たちの間違いや至らなさにもかかわらず、ご自分を与えてくださるキリストの生命にあずかる」という大主教の言葉が印象的だった。 会議の中で、米・加両聖公会の公聴会が開かれ、それぞれのよく準備された事情説明と意見表明は、私にはとても説得力のある好感の持てるものとして受け取られたが、これに対する批判もあり、ACCとしても米・加両聖公会への非難決議をすべきとの提案もされ、投票の結果、30対28(棄権4)でその提案は可決された。私としては、前例もないようなこの決議は、聖公会の伝統であり宝でもある多様性の中の一致を問答無用に切り捨てるように思えて、大変残念なことであった。 私は、北関東教区の輿石勇司祭と共に、昨年9月の聖公会平和と正義ネットワークのエルサレム会議に出席したが、その報告が今回のACCで行われ、また議案も提出された。イスラエル政府の、ヨルダン川西岸・ガザの占領政策に荷担している企業へ投資している管区や教区、個人に対してそれを停止すべきとの議案は、ユダヤ人ロビーからの強い反対が表明されており、ACC議場でも熱い議論が交わされた。報告を一方的だと非難する人々に対して、私は、「パレスチナに行くまでは、まさに一方的(イスラエル側)なことしか耳に入らなかった。現地で初めてパレスチナ側の声を聞いた」と反論した。これらの議案は、結果的に賛成多数で可決された。 大韓聖公会代表からは、北朝鮮の核疑惑に対してアメリカ政府が介入することの危惧が表明され、平和的な南北統一にACCも積極的に働きかけるという議案が出された。私はそれに対しては、朝鮮半島における南北分裂は、先の戦争における日本の侵略にも原因があり、その意味で日本聖公会はこの議案を支持する旨を表明し、これも可決された。 まだまだ多くの決議がされたが、いずれ決議録が出ることになろう。日本聖公会は小さな教会ではあるが、世界の聖公会の中で、大いに貢献できるものを持っていることを改めて感じた次第であった。 |
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■戦争とテロの中で「平和」を問う |
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ロンドンの連続同時爆発テロには驚きました。多数の死傷者が出て本当に悲しい出来事です。首座主教様は、カンタベリー大主教様宛てにお見舞いと正義と平和の実現のために連帯を表明するメッセージを送られました。 警察官は原則丸腰の平和な国なのに。どんな理由であれテロは許されることではありませんが、アジア・アフリカ系英国人に対する差別が背景にあるとも言われています。差別の問題の難しさは、差別する側が気がつかなくても、差別される側には何とも不愉快な傷を与えることです。多くの英国人は本当に良い人たちなのですが。 ロンドンの地下鉄、昔は喫煙車があり車両の床が木製なのに堂々と?タバコが吸えたのです。しかも灰皿もなく、床にポイ捨て。今から考えればひどい話です。火災事故があってからは、当然のことながら全面禁煙になりました。この地下鉄は戦時中は防空壕に使われたというくらい、地下深くを走ります。したがって駅はエスカレーター完備です。このエスカレーターに関してはバリアフリーといえるかもしれません。車椅子をどうするのかは心配です。 私事でありますが、この2年ほど義母が一緒に生活しています。やはり足腰は弱くなりました。今まで深くは考えなかったバリアが現実問題となりました。エスカレーターやエレベーターがない駅は使えないのです。エスカレーターだっていつまで使えるか分かりませんが、昇りのエスカレーターだけの駅もあります。昇りの階段は大変ですが、降りの階段は昇りよりも身体が不安定で、大変というより危険です。自分の家族の問題となって初めて気がつくのですが、横断歩道橋は高齢者には冷たいものですね。 先日、清水の教会の聖別式に出席しました。10人くらいの信徒数でよく建てられたと思います。費用とスペースの点で限界もありますが、バリアフリーです。「もう一度教会に行って皆と一緒に礼拝を捧げたい。オルガンに合わせて聖歌を歌いたい」と言われたとき、「車椅子では無理だよ」言わなければならないとしたら寂しいでしょうね。人生最後の願いかもしれないのに。お互いを思いやり合う想像力が求められていると思うのです。 横道に逸れましたが、私たちの信仰は私たちと神様との間にあるバリア、私とあなたの間にあるバリアを取り除き、共に生きることではなかったでしょうか。平和とはこのことではなかったでしょうか。戦争やテロが続く中、私たちは8月を迎えようとしています。本当の平和と何なのか、そのために私たちは今日何が出来るのかを問い求めたいと思うのです。主にある平和をお祈り申し上げます。 ■日韓聖公会宣教協働合同会議
昨年10月に行なわれた日韓聖公会宣教協働20周年記念大会での共同声明を受けて、6月30日(木)牛込聖バルナバ教会にて、日韓宣教協働合同会議が行なわれた。日本側は正義と平和委員会日韓協働プロジェクト(委員長 谷昌二主教)のメンバー他10名が、大韓聖公会からは新たに建てられた韓日協同プロジェクト委員会の委員長金根祥(キムグンサン)司祭他5名が出席した。 冒頭、日本聖公会の機構改革で日韓協働委員会が正義と平和委員会のもとに置かれることになった経緯について、大韓聖公会側に十分な説明がなされなかったことについてのお詫びの首座主教メッセージが代読された。 協議では最初に福岡での共同声明の確認と今後の日韓聖公会宣教協働の意義について、過去20年間を振り返りつつ話し合われた。その中でこれまで20年間の学びと交流を継続しつつ、特に韓半島の統一が東北アジアの平和につながるとの認識を大切にし、日韓聖公会でどのような宣教協働を行なっていくかを協議することを確認した。また話し合いの中では「朝鮮半島」「韓半島」など言葉の使い方についても時間が費やされ、言葉一つにも日韓の歴史の重さを感じさせられた。 午後からは、具体的に共同声明に挙げられた11項目について、日韓両聖公会からの提案に基づいて協議した。過去10年間続けられてきた青年交流については、今後日本側は青年委員会が窓口となり、大韓聖公会側の担当者と、東北アジアの平和の実現と宣教の担い手としての青年の育成という課題をもって行なうこととなった。また女性の交流については、今後はより一層の交流を行なうことが提案された。具体的には来年、日本聖公会で予定されている聖公会女性会議に韓国からも参加していただく、あるいは韓国で行なわれるオモニ会の会合に日本からも参加することなどが話し合われた(大韓聖公会からは早速8月に行なわれるソウル教区オモニ会修練会への招待を受けており、参加者の人選を行なっている)。 社会宣教(社会正義、平和、人権、福祉)に関して社会宣教を担う人材相互交流・研修を行なうために日韓聖公会社会宣教協議会の開催の提案がなされ、今後協議していくこととなった。また日韓の社会宣教に関する研修プログラムをコーディネートするために、両聖公会のメンバーの中から窓口担当者が決められた。 在日韓国朝鮮人との共生に関しては聖公会生野センターへの関心と理解を深めることが確認され、また「ニューカマー」として日本に来ている人々への牧会(例えば韓国語による礼拝)、また京都宇治市ウトロ地区の問題への関わりが韓国側から提案された。 韓半島の統一については両聖公会に何ができるのかを探るため直接現地を訪ねることが提案され、来年秋には金剛山及び雪岳山を訪ねることなった。 祈祷書の学び、代祷の交換、南北統一のため共に祈る日を設けることなども話し合われた。 韓半島の統一と東北アジアの平和という大きな宣教課題を担いつつ、今後一層日韓聖公会が協働と交わりを深めていくことを祈り閉会した。 |
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■2005年沖縄週間/沖縄の旅(報告)
今回の沖縄の旅は何度も涙がこみ上げてくる、そんな心動かされる旅でした。それは、全国から集まった35名の世代の異なる仲間たちと、そして沖縄教区の兄弟姉妹たち共に「いのち」を感じる数々の体験をすることができたからだと思います。 テーマは「命どぅ宝 憲法9条-改憲の向こう側に見えるもの」。6月17日から20日までの開催でした。主なプログラムは、最初と最後にオプションツアー。はじめは南部戦跡を、あとのものは米軍基地を中心にいずれも沖縄教区教役者による平和ガイドの協力を得て行いました。講演は、永らく読谷村長を勤められた山内徳信氏。そして長崎市の岡まさはる長崎平和資料館理事長の高實康稔氏。今も平和運動に深く携わっておられる両氏より実践者としての熱い思いを伺いました。 メインプログラムは、辺野古の基地建設阻止座り込みへの参加でした。ガイドは日本キリスト教団の西尾市郎牧師。那覇を早朝に出発し、現地到着後すぐテントの中で状況の説明を聞き、美しい海、自然を直に見てまわりました。そして代表から、また地元の元気なオジーからもその思いを聞き、新基地建設に直面し揺さぶられている人々から、それこそ私たちも生き方を揺さぶられたのでした。 その後名護聖ヨハネ教会での分かち合い、各教会分宿と主日礼拝への出席、沖縄教区「慰霊の日礼拝」参加、エイサー隊を招いての交流会と続きました。 私は冒頭に書きましたように、今回の旅の中で涙がこみ上げてくる場面が何度もありました。 ある高齢の女性が沖縄戦で肉親を失った痛みを抱えながらこの旅に参加され、辺野古での座り込みの中で皆にそのことを話されました。すると沖縄のオジーの一人が「その痛みは私の痛みと同じです」と言われた。聞いていた私は、痛みがつながっている、そして人は痛みをしっかりと共有できるのだと思い、涙が出ました。 嘉手納基地の近くに行った時、たまたま数機の戦闘機が飛び立つ場面に出くわしました。バリバリと空を引き裂くあまりの轟音に、やはり涙がこみ上げました。それは小さな村を、人の関係を、支え合う心を引き裂く基地の存在を目の当たりにした思いでした。 いろんな立場の異なる世代の人達が、一台のバスにぎゅうぎゅうになって「いのち」に触れる旅をする。これは教会の姿と重なります。私たちは、神さまからいただいた「いのち」を生かし合うためにこそ集められているのだと思います。 |
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■日本聖公会全国青年担当者の集い報告 |
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日本聖公会全国青年ネットワーク事務局 相原太郎 |
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7月17〜18日、2005年度第2回日本聖公会青年担当者の集いが、名古屋で開催された。この集いは、年2回程度、全教区の青年担当者と管区青年委員が集まり、教区の青年活動の現状を共有し、その活性化について協議懇談するものである。 今回、沖縄教区と正義と平和委員会が行っている「沖縄週間/沖縄の旅」の青年スタッフを招き、今年の沖縄の旅の報告と提案について懇談する機会が与えられた。 6月の沖縄の旅には多数の青年が参加し、会期中青年たちが様々な想いを分かち合い、何かできることはないだろうか、と話し合った。新基地建設を断念させる現地の行動に継続的に連なりたいという意見が多く出され、その後、旅に参加した青年の一人が7月1日より沖縄に滞在し、沖縄教区の様々な方にお世話になりながら、現地の行動に参加することとなった。 このような青年の取り組みを支援するため、現在、沖縄教区、正義と平和委員会、青年委員会が、支援体制を調整中である。体制が整った時点で、青年担当者の協力を得て現地への参加者を募り、また辺野古で起きている日本の問題を広く共有し、教会に連なる者として平和の実現に向けて青年達を支援していくことを確認した。 次に、昨年一旦終了し、日韓協働委員会から青年委員会に引き継がれることになった日韓青年プログラムの今後の可能性について意見交換した。日本聖公会が大韓聖公会に学ぶことは多く、これまでの形式にこだわらず、宣教の課題を担う青年を育成するという視点で、また東アジアの平和の実現を射程に入れ、次年度以降、新たなプログラムとして企画を起ち上げるために検討していくことを確認した。 他にも、教区で青年コーディネートを専門に担う人的配置が必要ではないかとの認識から、当座、現在の青年担当者の重要性が教区で明確化される必要があること確認した。また、たとえば各教区で青年の日を設ける等、青年活動の活性化が教区全体で意識されるよう働きかけていくことも合わせて確認した。 6月に英国で行われた、第13回全聖公会中央協議会(ACC)では、全管区及び教区に対し、青年活動の更なる検討と必要な予算措置を求める決議がなされたが、日本聖公会としては、今回の青年担当者の集い等の取り組みを通して、世界の聖公会の動向に確実にリンクしていると言える。2007年には全聖公会国際青年大会の開催が検討されているが、そうした聖公会のダイナミックな動きはもっと青年達と共有されてよいはずである。 次回の担当者の集いは、来年1月に開催予定。 |
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管区事務所だより Jul. 01 | ||||||||||||||||||||||||
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