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管区事務所だより 2004年12月25日 第191号 Page1/2 |
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□小さな働きの積み重ね □ウィリアムズ主教記念基金記念講座講師 アンドルー・デイヴィー司祭の問いかけ □第8回 日韓NCC協議会 □チオコ便り □「ハンセン病問題啓発の日」の祈り □公示 |
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小さな働きの積み重ね |
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管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕 |
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「大きなことを望んだのに、神様は謙遜を学ばせるように小さなことを与えられた」という詩がありましたね。過ぎ去ろうとしている1年を振り返りながら、この詩を想っています。「人は足りない、金もない」と言いながら、小さな力を出し合って過ごした大切な1年であった気もいたします。 それぞれが一番小さな目標を決めて、小さいけれども一つ一つ達成していこうを合言葉にしておられる教区もあります。大きな話はなかったけれど、小さな働きならいくつもお捧げできました。一つ一つの働きの中に与えられた神様の御導きを感じさせられ、感謝したいと思います。 重債務最貧国債務帳消し などという大きなことはできませんが、ミャンマーのダニエル総合農村指導者育成プロジェクト支援と、ウガンダのチオコ病院支援は、少しでも貧困から脱却できるようにと今年から始めた皆さんの小さな捧げものです。別に掲載する北川ドクターの報告をご覧ください。サハラ以南に280万人のHIVに感染した子どもたちがいるそうですが、280万人の一人ひとりがカトくんやゴッドフリーくんと同じように喜びを持って迎えられ名前を付けて祝われた一人ひとりなのです。単なる280万分の1ではなく、この世にたった一人しか存在しない掛け替えのない一人なのです。北川ドクターの報告でも「患者さんの多さに比べて、私たちが診られる患者さんの数は限られていますが・・・、まず目の前にいる患者さんを心をこめて診る経験の中から、国規模で、世界規模でどう取り組んでいけばいいのかが見えてくるだろうと思います。・・・試行錯誤をしながら。」とあります。私たちも小さな働きではあるけれども、目の前にいる一人ひとりを大切にすることから始めようと努めた1年でありました。失敗の多い試行錯誤の繰り返しであったにしろです。 ヨハネスブルグにあるエイズ・ケアセンターで働くカトリックの根本神父からもお便りをいただいています。9月に訪ねてみましたが、決して大きな施設ではありません。それなのに「今年に入って1月から今日11月22日までに277人の方々が、当センターで亡くなりました。男性122人、女性155人となっています。苦しみから離れ神様のもとで平和に休んでくださいと祈り送り出しながら、互いに語り合い分かち合った一人ひとりの顔と思い出は強く焼きつき決して忘れることが出来ません。・・・いま自分が何処にいるのか、何をしているのか分からなくなるときがあります。そんな時、皆様の犠牲とお祈りが、私を救ってくださいます。」ここにも、時として迷いながらも一人ひとりの人生と向かい合っている「小さき兄弟」(フランシスコ会士)の働きがあります。 昨年末のイラン大地震に続いて、今年は国内でも台風、地震の被害が続きました。中越地震も大変でした。(被災地でありながら地震の翌日の主日礼拝の信施を、社会事業のためにと月曜日にきちんと郵便局から送金してくださった教会には感激しました。) イラクやパレスチナだけでなく、多くの地で戦乱が続いています。多くの場合犠牲者合計何人で報道されます。でもイラン大地震の犠牲者の墓地は見渡す限りお墓が並んでいましたが、一人ひとりの名前が刻まれていました。出来事とか総合計としてでは、その痛みや悲しみは伝わってこない気がするのです。そうではなく小さな力しかないけれども、一人ひとりの人生の痛みや悲しみとして向かい合い分かち合うことが出来ますようにと願うのです。仮に一番小さな働きすら出来ないとしても、いろいろな人々を憶えながらのクリスマスであって欲しいと願うのです。私たちも一人ひとりとして愛され、新しくされているのですから。 1年間お世話になりました。そして、この『管区事務所だより』をお読みいただいて有難うございました。私も管区事務所に来るまで読まなかった一人ですから、心から御礼申し上げます。新しい年は楽しいネタのたくさんある一年でありますようにお祈りいたします。 |
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■ウィリアムズ主教記念基金記念講座講師 アンドルー・デイヴィー司祭の問いかけ |
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司祭 サムエル 輿石 勇 |
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英国教会社会責任局都市問題主教委員会の主事であり、全聖公会アーバン・ネットワークのコーディネーターでもある、アンドルー・デイヴィー司祭(神学博士)が、この度ウィリアムズ主教記念講座講師として来日しました。10月中旬から1か月間、東京、神戸、大阪、京都、名古屋など教会をはじめ神学校や聖公会関係学校等で講演されました。また、大阪では生野センター、名古屋では国際こども学校や野宿者との協働プログラム、さらに、東京では「きぼうの家」などを訪問し、日本聖公会の都市問題と取り組んでいる人々と交流する機会も持ちました。 デイヴィー司祭の講演は、現在の世界のグローバル化という動きの中で、これまでに見られなかった規模で人口が都市に集中していることを大前提としています。この現象は日本でも顕著に認められますが、日本に即してもう少し詳しく見ておくことにしましょう。 おそらく日本聖公会のほとんどの教区や教会が体験していることだと思いますが、特に最近地方都市の人口が減少しています。この人口は多くの場合、大阪、名古屋、そして、主として東京に吸収されることになります。その結果、大都市特有の問題も起こりますが、人口を送り出す地域の問題も起こりますので、たとえばデイヴィー司祭などが、都市問題と言う場合に、この両方の地域に生ずる問題が含まれます。 集中する人口を吸収するというだけではなく、世界規模の企業を魅了して国際資本の導入競争に勝つためにも、大都市の再開発が行われます。日本でも「アーバン・ルネッサンス」という名前で、主として東京都心の7地域の再開発が行われ、ほぼ完了したのではないかと思います。 このアーバン・ルネッサンスという名前は、英国でも都市再開発に用いられていますが、都市中心部の貴族化に象徴される、新たな貧困問題を生じています。東京の再開発計画の一部として、六本木ヒルズという大きな建物が建ち、昨年4月から営業を開始しました。しかし、一度や二度では済まない回転ドアの事故があったのに、この3月に小学校入学を目前にした男の子が亡くなる事故が起こるまで、問題は放置されました。日本のアーバン・ルネッサンスを象徴しているように思われます。 さて、人口を専ら送り出すだけの地域は、なぜそうなってしまったのでしょうか。一つの理由は、市場経済が国際化したために、人件費を初めとして生産経費がかさむ先進諸国の農産物や製品は国際的な価格競争に太刀打ちできなくなります。その結果、農業や漁業や製造業などを中心とする従来の地場産業が崩壊することになります。世界貿易機構の取り決めが、更にそれに追い討ちをかけます。昨年でしたか、メキシコのカンクンという町で開かれた世界貿易機構(WTO)の集まりで、大学で農業を学び相続した財産をつぎ込んで、韓国における農業振興を目指していた前途ある青年が、同機構に抗議して、自殺したのをご存じでしょうか。超経済大国が自国の産品を保護しつつ、他の国の農業等の保護政策には制裁をもって臨むという不公平に抗議したのだと思います。このような国際的な理由と深く関連しますが、地域に深く根ざしてきた小売店や食堂などが、大量仕入れなどでコストの削減を実現した、大資本(国際資本も含む)傘下の全国チェーンの展開によって、廃業を余儀なくされているということも、東京など三大都市以外の地域の衰弱の要因となっているのではないでしょうか。 私たちははたして、これまで述べたような、自らが属するそれぞれの地域の地域ぐるみの失業状況を放置したままで良いのでしょうか。大都市の一人勝ちではなく、各地域が共存する道は全くないのでしょうか。公共工事で一時的に地元の業者を潤したり、米軍の演習を誘致したりといったような、その場しのぎではない方策を生み出すことはできないのでしょうか。そのような方策を生み出す働きに教会は参加することができないでしょうか。日本の教会の宣教の課題はこのようなところにあるのではないかと、デイヴィー司祭は一連の講演を通して、私たちに問いかけたのではないかと思います。 |
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■第8回 日韓NCC協議会 |
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NCC在日外国人の人権委員長 小山俊雄(横浜教区) |
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12月6日(月)から8日(水)まで在日本韓国YMCA(東京)で、韓国から14名、日本側は約60名が参加して第8回日韓NCC協議会が開催されました。大韓聖公会から丁哲範主教(管区長)と申考姫さん(全国婦人会会長)が、日本聖公会からは香山洋人司祭(パネルディスカッション司会者)、三鍋裕総主事、武藤謙一宣教主事、松浦順子さん(NCC女性委員会委員長)、田中ゑみさん(同委員)と私が参加しました。なお、前回は2001年に韓国で開催されております。 今回の主題は「平和の文化を共に創ろう---暴力の時代をどう生きるか」で、主題講演は京都大学助教授・岡真理さん。岡さんはパレスチナ問題に深く関わっていて「パレスチナ紛争は宗教対立というのはねつ造された神話で、諸宗教、諸民族が共存していたところに西欧諸国が無理遣りユダヤ人国家を作ったことに原因がある」と主張し、「国際法上は合法という意見があるが、これは占領者の論理であって、占領された側の視点から見なければ真の対立と暴力の原因が分からない。日韓併合も植民地主義の暴力であることはパレスチナと同様である。この暴力によって痛みを感じた側の歴史を記憶しなければならない」として「キリスト者はどうなのか」と鋭く問いかけました。 その後、発題がありました。最初のセッションでは「韓国の良心的兵役拒否と代替服務論議−現況と展望」(韓国側)と「日の丸・君が代強制強制に抗する教育の現場から/予備訴訟による闘いと教育の良心」(木村葉子さん)、第2セッションでは「発題(保育士、在日コリアンの立場から)」(尹卿恵さん)、「韓国の外国人移住労働者問題の現況と展望」(韓国側)、「共感の輪を広げることこそ」(森田喜之牧師)でした。主題講演と発題を受けてグループ討議を重ねたのち、声明文とアクションプランを採択して閉会しました。 閉会後、希望者を募ってフィールドワークとして横網公園(旧被服廠跡)内の復興記念館、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑、新大久保コリアタウン、高麗博物館をたずねました。追悼碑の前ではこの地で虐殺された朝鮮人の霊のために全員で祈りを捧げました。 今回の集まりで協議以外に素晴らしかったことが二つ。一つは女性委員会が準備して全員が参加する三本のキャンドルを囲む超教派にふさわしい開会礼拝。もう一つは在日大韓基督教川崎教会の青年を中心にした戦争や暴力の連鎖への絶望、怒り、聖書の言葉や祈りによる希望を表現するパフォーマンス(映像、歌、踊り)でした。女性と青年も積極的に関わってもらおうという当初からのねらいが実現した感じでした。 上記の日韓NCC協議会出席のために来日された大韓聖公会丁哲範首座主教様から、中越地震被害のために多額のお見舞い金をいただきました。このお見舞い金は中部教区にお委ねしました。大韓聖公会へのお礼と共に、皆様にご報告申し上げます。 (管区事務所総主事) |
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■チオコ便り 〈日本聖公会の皆様へ〉 |
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北川恵以子(2004年12月5日) |
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チオコ病院のHIV陽性児訪問診療は順調に続けられ、地域に根を下ろしていっています。現在このサービスを受けている子どもは30人です。多くの子どもが両親をエイズでなくしていて、お祖母さんやその他の親戚の家に預けられています。月一回、訪問をし、治療をし、カウンセリングをして生活上の相談に乗り、栄養や衛生の指導をして、栄養状態の悪い子どもには栄養価の高い食べ物を届けています。また、病気になったら、チオコ病院に来て無料で治療を受け、入院することになっても治療費を含む入院費は無料です。 11月に、小児科病棟の隣に栄養障害児治療病棟ができました。全部でベッドが12あります。ベッドは大人用のもので、ここで栄養障害児は母親に抱かれて眠ります。栄養障害児は体温が低く、そのこと自体が命に関わるので母親にあたためてもらうのです。また、病院ではふつう付き添いの人はコンクリートの上にゴザをひいて眠るのですが、この大人用のベッドで眠れば付き添いの母親もゆっくりと休んで子どもの治療に専念することができます。HIVに感染した子どもには、栄養障害を起こす子どもが多く、この病棟には多くのHIV陽性児が入院することになると思います。 治療をする人々も、私がチオコ病院に赴任した4年前に比べて、いい意味でずいぶん変わりました。以前は、HIV・エイズは治らない病気だとして積極的に取り組む医師がいなかったのですが、今、医師達はHIV・エイズに積極的に取り組んでいます。村に出ていって、患者さんを診察するうちに、HIVに感染していても積極的に取り組めば、患者さんはより健康に生き生きと生きることができるのを経験したこと、そして、アフリカ全体でHIVに前向きに取り組む運動が起きつつあるからだと思います。 サハラ以南のアフリカには280万人のHIVに感染した子ども達がいます。患者さんの多さに比べて私たちが診られる患者さんの数は限られていますが、村に行った医師やその他のスタッフは「私たちが来ていなかったら、この子ども達はとっくに死んでいたろう。」と言っています。まず目の前にいる患者さんを心を込めて診る経験の中から、国規模で、世界規模でどう取り組んでいけばいいのかが見えてくるだろうと思います。 チオコ病院では、この他にも成人のHIV陽性者100人を対象に、同じような活動をしています。 訪問診療をしている子ども達のうちの何人かの様子お知らせします。 カトとゴッドフリーはどちらも男の子で、三鍋裕総主事がウガンダへ来られたときご訪問くださいました。2人とも以前は、病気がちで寝てばかりいたし、やせ細っていたのですが、今は栄養状態もよくなり、笑顔で元気に走り回っています。 スワイブは、ゴッドフリーの兄さんなのですが、母親が亡くなった後、父親が違うため、父方の伯母さんの家に預けられていました。ゴッドフリーより重症で栄養状態も悪く、食べ物を届けていました。でも伯母さんは余り彼の世話をしていませんでした。残念なことに、先月彼は下痢が元で亡くなりました。 ボブは、エイズで両親を亡くし、お祖母さんのところに預けられています。他の兄弟とは離ればなれに住んでいます。彼はとても頭のいい子なのですが、10才になるのに、まだ小学校2年生です。しかも今は休学しています。HIV陽性の子どもは、そう長く生きられないからとお祖母さんが判断して、乏しい学費を他の子どもに回しているためです。彼は引っ込み思案でいつも寂しそうですが、訪問診療をしてから身体的にはずいぶん健康になりました。 ハッサンという男の子とその妹2人は、訪問診療をするまで病気がちで学校にも行けなかったのですが、今は元気になり学校に行っています。両親はエイズで亡くなっていてお祖母さんと住んでいます。ハッサンは中学生で、自分の病気を知っています。でも、HIVに罹っても、色々なことに注意すれば健康に生きることができるのが知らされていて、病気への理解を深めつつ、前向きに生きています。 4か月に1回、お母さんやお祖母さんと子ども達を招いて集まりを開いています。この日ばかりは、お母さんたちは自分と子どもがHIVに感染していることを他の人に知られて差別されることを恐れる必要はなく、他の感染したお母さん方と交流を持つことができます。12月には、クリスマスの集まりをします。子ども達にあげるプレゼントが少しずつ集まっています。 このように、聖公会の皆様からいただきましたご寄付によって、試行錯誤をしながら、HIV陽性の子ども達の問題に取り組み、患者さんと家族と関わっています。患者さんと家族が、そして、チオコ病院のスタッフがいつも皆様に深い感謝を申し上げています。そして私からも重ねて深い感謝を申し上げます。 (以上)
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◇ ─── ■解説 チオコ病院への支援について チオコ病院におけるHIV/AIDS治療・撲滅運動に対して、日本聖公会は第52(定期)総会(2000年5月開催)で決議された「重債務国開発協力」の一環として2004年度から支援を開始しました。年間100万円の支援を5年間継続する予定です。 チオコ(綴りは Kiwoko )病院はアフリカ・ウガンダ(アフリカ大陸中央部のやや東寄り)のルエロ(Luwero)の辺地に位置する病院で、1988年にアイルランド人の医師によって始められました。1981年から1986年まで続いたウガンダの内戦によって人口の約25%が殺されましたが、アイルランド人医師イアン・クラーク博士はこの内戦終了後にここにやってきたのです。病院のある地域は貧困にある人々が何とか生き延びている貧しい地域で、HIV/AIDS感染率が非常に高い所です。 設立当初は小規模の診療所でしたが、16年間で規模が大きくなり現在は年間外来患者数が22,000人、入院患者数が6,000人の大規模な病院に成長しました。この病院には看護学校と医療検査技術訓練所が併設されています。主な活動は、予防医学、若年層への医療、HIV/AIDS感染患者の医療活動等です。 HIV/AIDSに感染した子ども達の医療活動は2001年から2003年までチオコ病院に滞在した北川恵以子医師(注:JOCSから派遣された医師でそれまでは主にカンボジアなどで活動された医師)によって始められました。 病院周辺在住の子どもたちのためにホームケアーを提供することが主目的で、日本聖公会からの支援資金は具体的には次のように使われています。 ○ 薬品の購入 ○ チオコ病院における診療 ○ 少なくとも両親の一人がHIV感染に感染しているケースの子どもの感染テスト ○ ホームケアーのための巡回用の車の購入と維持 このプログラムを維持し拡張するための聖公会の支援活動は、現地で感謝されています。 (管区渉外主事 八幡眞也) |
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2005年1月30日 「ハンセン病問題啓発の日」の祈り 第55(定期)総会決議第30号「ハンセン病問題啓発の日を設け、ハンセン病問題への理解が深まるために祈る件」 毎年顕現後第6主日をハンセン病問題啓発の日とし、その日にはそれに相応しい祈祷を捧げる。顕現後第6主日がない年は大斎節前主日の直前の主日。 |
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公 示 |
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救主降生2004年12月7日 日本聖公会 首座主教 ヤコブ 宇野 徹 |
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神のお許しがあれば、 被選主教 ゼルバベル 広田勝一 の主教按手式ならびに日本聖公会北関東教区主教就任式を下記のとおり執行いたします。 主にある兄弟姉妹、ことに日本聖公会に属する聖職、信徒の代祷を求めます。 記
日時: 2005年2月11日(金)(日本聖公会組織成立記念日) 午前10時30分 場所: 立教学院聖パウロ礼拝堂 新座市北野1-2-25 ※祭色は白を用います 以上 |
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Merry Christmas and a Happy New Year! |
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管区事務所だより Dec. 01 | ||||||||||||||||||||||||
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