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管区事務所だより 2004年11月25日 第190号 Page1/3 |
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□CCEA-東アジア聖公会協議会主教会に出席して □降臨節に入って □日韓聖公会宣教協働20周年記念大会を終えて □第4回人権担当者連絡協議会報告 |
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九州教区主教 ガブリエル 五十嵐 正司 | ||||||||||||||||||||||||||||
CCEAは4年に一度総会が開催され、各教区ないし管区の主教、司祭、信徒の代表が集い、情報交換、協働の模索をする場となっています。また総会の
ない年は主教会を毎年持ち回りで開催し、構成メンバーである各管区を訪問することとなっています。 構成メンバーは大韓聖公会、フィリピン聖公会、フィリピン独立教会、香港聖公会、ミャンマー聖公会、東南アジア聖公会【クチン教区、サバ教区、西マレーシア教区、シンガポール聖公会(含むカンボジア、インドネシア、ラオス、ネパール、タイ、ベトナム)】、それに台湾聖公会、オーストラリア聖公会、日本聖公会です。かつては、オーストラリア聖公会を除いては管区となっていなかったために、CCEAとして行動を共にしていましたが、それぞれに管区となった現在は活動内容が変化し、交流と協働の場としての機能を果たしています。 2000年総会においてCCEAの役割は施策決定機関ではなく、交流機関と変更され、また日本聖公会へはオブザーバーの立場から正式構成員となる招きがあったため、これを受けました。 今回はCCEA主教会が10月6日〜12日、フィリピンのマニラにおいて開催されました。「家庭生活の危機」を主題にして2名の講師の話を聞き、また主日には主教たちは各教会に招かれ、説教者或いは司式者としてフィリピンの教会生活を共にしました。 特に協議された事項は、同性愛者を主教按手したアメリカ聖公会、及び同性愛者の共同生活を祝福するカナダ聖公会に対しての強い抗議表明でした。しかし、CCEAとしての抗議表明は交流機関を逸脱するものとして、出席主教の自己判断で抗議文に署名することとなりました。 各管区、教区の情報の分ち合い、また諸協議を通じて、次々に新たに主教となる人々を交えての交流は信頼と協働を確かにする場となっています。 来年の主教会は10月に日本聖公会において開催される予定です。 |
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■降臨節に入って |
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管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕 |
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教会のカレンダーは新しくなり、世間も1年の終わりの近いことを感じさせられます。少し早いですが本号にカンタベリー大主教のクリスマスメッセージを掲載いたしました。クリスマスだけにお読みになるのではなく、大主教さまの問いかけを思い直しながらクリスマスの準備をお進めいただきたいと願う次第です。 終わろうとしている1年を振り返りますと、今年も大変な年でした。台風と地震の被害が続き、寒さの増し加わる中で困難を極めておられる被災者の方々に心からお見舞いを申し上げます。また復旧支援に携わっておられる多くの方々に感謝したいと思います。 自然災害と並んで戦争という人災の1年でもありました。毎日のニュースはイラクをはじめ戦争ばかり。傍観者のような言い方で不謹慎かもしれませんが、疲れましたね。容認できない戦争の中であっても人間に対する最低限の尊敬というものがあるはずです。米軍による無抵抗な負傷者射殺を含めて捕虜虐待は、「作戦」も想定しない戦争による人間性の破壊を示しているように思えます。拉致・殺害された香田証生さんは聖公会の幼稚園で育たれた方でした。香田さんの行動にはいろいろな意見があるでしょう。1回目の遺体発見のニュースは誤報でしたし、ご家族のご心痛はお察しして余りがあります。それにしても何か奇妙でした。拉致した武装勢力が要求した香田さん解放の条件は自衛隊のイラクからの撤退でした。政府が簡単に応じるとは思いませんが、ご家族の言葉として伝えられたのは「ご迷惑をお掛けして申し訳ない。一民間人としては国家にどうしろとは言えない」という内容。「どんなに迷惑をかけるとしても、どんなに非難されても構わないから愛する息子を救って欲しい」との声は誰がどのように封殺したのでしょうか。民間人だから遠慮なく叫んでよいはずだったのに。 また自分のことを少し書かせてもらいます。一方的にアメリカだけを非難するわけではありませんが、ベトナム戦争を思い出してしまうのです。1964年8月、当時のサイゴンはベトコン(南ベトナム民族解放戦線)に対する厳重な警戒態勢でした。わたしも街で警察官だか兵士だかわからない数人に自動小銃を突きつけられました。何を言われたのかは憶えていません、どうせ言葉は通じなかったし。パスポートを見せて、顔を確認して解放してくれました。サイゴン出港直後、誰かが仕入れた中国語の新聞を見て驚きました。「怪東京湾」の大見出しでしたから。東京湾で何が起こったのかと思ったらトンキン湾事件のことでした。トンキン湾公海上で米海軍駆逐艦マドックスが北ベトナムから2回にわたって魚雷攻撃を受けたとされる事件で、これを口実に北爆が始まり戦争が本格化したのですが、少なくとも一部は米軍の謀略とされています。枯葉剤、ナパーム弾などそれまでは知らなかった言葉が出てきたのもこの時代です。ソンミ村焼き討ち事件もありました。軍法会議にかけられた米陸軍中尉への判決は終身重労働でしたが、判決の翌日大統領命令で釈放。アメリカの経済援助と引きかえにいくつもの国が参戦し、厚木や沖縄から兵員や武器が送り込まれました。戦争は泥沼化し、ゲリラ攻撃に耐えられず結局米軍は1975年4月に撤退しました。武器が劣化ウラン弾に変わっても、同じパターンを繰り返している恐れを感じるのです。サイゴン訪問から数年後わたしも香田さんと同じで、「戦場で実際何が起こっているのかを自分の目で確かめたい」と思い、南ベトナム大使館に行きましたが、ビザは発給されませんでした。変わりにアジアの貧しさを見ました。 昨日の毎日新聞に国連難民高等弁務官補のカルマ・モジャーン氏の言葉が紹介されていました。「世界で起きていることを知り、平和のため、よりよい世界のため、何ができるかを考え、実行して欲しい。それが日本の若者への私のメッセージです」 どうか慌てて戦場に行かないでください。戦争だけではなく貧困、病、教育、差別など私たちが知らなければならない事柄はたくさんありますし、遠くに行かなくてもできること、するべきこともたくさんあります。直接会わなくても出会いを求める手立てもたくさんあります。多くの出会いを通して「一緒に生き、生かされている素晴らしさ」を喜べるようになりたいのです。 最後に政府は危険地域への旅行を禁止する法律を考えたようですが、憲法に保障された「移動の自由」に触れるので難しいそうです。政府も結構憲法を尊重し、憲法も国民を尊敬しているではないかと思わされました。そうであれば法学上色々な意見があるにしても、国民が尊敬し、国民を尊敬している平和憲法にも十分な敬意を払っていただきたい。どうか自由に安全に移動できる世界が回復され、多くの出会いを喜ぶことのできる日が一日も早く来ますようにと、平和の主をお迎えするこのときにお祈りいたしましょう。 |
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■日韓聖公会宣教協働20周年記念大会を終えて |
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司祭 ステパノ 柳 時京(ユ・シギョン) |
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先月10月18日から21日まで福岡で日韓聖公会宣教協働20周年大会が開かれた。名称にあるとおり、1984年から始まった両聖公会の宣教の働きにおける協働と公式交流の歳月を振り返り、未来の展望を共に模索するという趣旨の集いであった。今までにない大規模な集まりであったことは特筆に価する。日韓双方の参加者だけでも総勢120名以上、祝賀コンサートや閉会礼拝での奉仕を担当したソウル教区オモニ聖歌隊まで数えると、150名を超える人数であった。かつての日韓セミナーなどの大会とは違い、双方とも管区の関係者を始めとして、全ての教区から主教や聖職、信徒参加者が出席しており、名実共に両聖公会の代表者の集まりでもあった。大会中、日韓合同主教会が開かれたことからも、その重要性が伺えるだろう。そして、もう一つ、今までにない特徴として、言語の面における飛躍的な発展があったことがあげられる。外部の人材に頼らず、聖公会の人材だけで全ての進行・通訳・翻訳などの仕事をすることができた。20年間の歩みをまとめた歴史資料集を両国の言語で編集・発行し、今後の展望を模索するためのものとして大会中配布したことや、礼拝式文、聖歌などを日韓両言語で共に祈り合える形で作成したことなど、時代が進んでいるのを感じるに十分なものであった。その外様々な点で、20年間の交流の実りを実感した大会であった。 大会は主に「感謝と希望」と題した発題、東アジアの情勢と韓国・北朝鮮関係についての特別講演、そして6グループの分団討議で構成された。それらを通して韓半島の統一のための日韓の市民・キリスト者の役割を議論しつつ、日韓両聖公会の社会的宣教活動や諸ミニストリーにおける協働の緊急性と重要性とを熱く話し合った。 大会最終日に採択された共同声明では、今後も協働関係を続け、さらに新たな歩みを踏み出すことを宣言した。これは、全体的な交流からいわば草の根レベルまで協働の範囲を行き届かせること、同じ分野・現場・立場においてより具体的に支えあう協働、そして東アジア地域で平和と宣教の新たな地平を模索するという、より幅広い協働の必要性を強調したのである。20年を迎え、初歩的な相互理解から協働へ、交流から連帯へ、日韓から東アジアへと協働の場の拡大・深化が模索され、今後の方向性を示したものであった。 ことに、この数年間における日本聖公会の機構改革の結果、その実体がなくなった総会傘下の日韓協働委員会に代わる新たな組織が求められた。大会での合意や約束が今後どういうふうに展開されて行くかを決定付けるのは、その新体制が決め手になるだろう。大会の性格上、協働の詳細までを決める権限を持つものではないとはいえ、あらゆる点において重要な大会であったことは言うまでもない。これらのことを有意義なものにするため、今後両聖公会の協議によって組織される新協働体制に注目すべきであろう。大会は「私たちは多くいても一つの体です」という信仰告白を共にし、癌で苦しんでいる韓国の司祭を共に覚えて献金を奉げ、今後の協働への決意を表明し、主にあって一つであることを確認しながらその幕を閉じた。 韓国の諺に「山を越えるとまた山」という言葉がある。日韓聖公会は20年間の協働で、小さい峠を越えたにすぎない。私たちは次の峠、もっと険しい山を登ろうとしている。来年は日韓国交正常化40周年を迎える年にあたる。日韓聖公会の交流も、ある一人の善意から個人レベルで始まり、来年で40周年を迎える。聖書は40という数字に特別な意味を与えている。出エジプトのイスラエルの民は荒野で40年間彷徨ってからようやくカナンの地に入った。イエスも40日間の試練を耐えられた。聖書の示すこの40という数字の意味から、日韓聖公会の40年の歩みを考えたい。新しい歴史へと歩みだす試練の40年の先端に立って、まさしく新地の開拓者ヨシュアとしてカナンに入ることが出来るのか、或いは、悲願の地に入らず境界に立ったまま、カナンを見るしか出来なかった愚かさに終わってしまうのか。それは境界を超えるための両聖公会の祈祷と努力にかかっている。 |
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■第4回人権担当者連絡協議会報告 |
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管区人権担当者 司祭 パウロ 濱生 正直 |
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2004年10月25日(月)〜26日(火)、大阪川口基督教会を会場に各教区の人権担当者が集い(欠席1教区・九州教区)、第4回人権担当者連絡協議会が開催されました。 第3回人権担当者連絡協議会(2004.2.13〜14)で、今まで部落差別問題委員会が開催してきた「部落解放セミナー」の継続性を保ちながら、新しい形でセミナーを開催するにはどのようにすればいいのかを協議いたしました。 その結果、「各教区の独自性の中で教区の人権担当者が中心になってセミナーを行う」ということになり、第1回目は中部教区にお願いすることを決めました。中部教区の方々は真剣にそのことに取り組んでくださいましたが、開催までの期間が短く充分な準備ができないこと、そして参加する人々がただ参加するのではなく意識を持って参加をして欲しいこと等を考え、今年の夏の開催は無理であると判断し、1年間延長することにしました。そこで2005年8月に開催するならば、時間があるのでしっかりと各教区が自教区の人権に対する調査をし、資料を集め、セミナーに参加をしていただこう、ということになり、各教区でアンケートを取ってもらうことにしました。各教区独自のアンケートを取るにしても、ある一定の意識を持ってアンケートを取れれば今後の活動にも有意義であると考え、アンケートに対する考えを学ぶために第4回人権担当者連絡協議会が開催されました。 今後の課題として、アンケ〜トを行い、集計をいたしますと、教会のメンバーがさまざまな形で人権活動に携わっておられることに気づかされます。気づきの中で取り組んでいかねばならないことは、「どのようにすれば活動が教会の仲間と共有でき、支援されるものとなれるか」「どのようにすれば活動している者が、主の祝福を受けながら携わっていると実感できるか」を真剣に模索することです。 今回各教区の活動の報告を受け、数教区からハンセン病問題の理解に関わる報告がありました。差別・偏見に対する啓発活動、回復者の帰郷実現等は全国的な広がりを必要としますので、今後の大きな課題であります。 |
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管区事務所だより Nov. 01 | ||||||||||||||||||||||||||||
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