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日本聖公会各教区報のなかから |
☆毎月、広報主事宛に送っていただく各教区報等のなかからご紹介しております。 |
北海道教区 |
横浜教区 |
沖縄教区 |
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歴史の事実とその重さ |
北海道教区報『北海の光』 |
(第520号・2002年11月20日発行) |
10月下旬、日本と韓国の主教たちがソウルに集まって、合同主教会が開かれました。韓国でのめざましいキリスト教会の成長について講義を受け、ソウル教区が行っている社会への働き(特に社会的・経済的弱者のための各種の活動)の現場研修も大変有意義でした。 今回のソウルでの主教会で最も心に残ったのは、強制従軍慰安婦とされた方々が住んでおられる「ナヌムの家」とそこに併設されている「日本軍『慰安婦』歴史館」を訪ねたこと、またソウル市内の「西大門刑務所歴史館」を視察したことです。ナヌムの家の歴史館には、「慰安所」の部屋が復元されていました。「どうぞご自由に中に入ってみてください」と案内の女性が言いましたが、その四畳半程の部屋の前でわたしは立ちすくんでいました。「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)の証言も聞きました。その手足に受けた傷跡も見ました。自分の辛い過去を話すのは、今の人々に歴史の事実を正しく知って欲しいからという彼女は、自分に残された限りある命をこのために燃やし尽くしているようでした。 「刑務所歴史館」は、日本が朝鮮半島を支配していた時に、抗日運動の活動家、また一般民衆を拘束したところです。拷問による取り調べが毎日行われ、その様子もリアルに再現されています。ここで多くの愛国キリスト者が拷問や栄養失調、また死刑によって殉教していきました。わたしはここでもことばを失ってしまいました。目の前の事実をどのように自分の理性で理解したらいいのかわからなくなってしまったのです。今も自問を繰り返しています。(「主教室より」欄) |
主教 ナタナエル 植松 誠 |
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祈りをささげる喜び |
『横浜教区報』 |
(第451号・2002年11月25日発行) |
約5カ月の入院生活を終えて欅の坂道の頂きにある主教館に無事に帰ることができた。入院中何度か、もうここには戻れないかもしれないと思った。高熱と頭痛の激しさが2カ月以上も続いたからだ。 帰ってきた今、嬉しく楽しいことは、聖職と家族の方々で朝夕の礼拝を守れることだ。朝も夕も聖歌を歌い、日々のみ言葉をいただき、公会のため、信徒の方々のことを覚えて一緒に祈るということはこんなによいものだと改めて実感した。 病院では、カーテンの向い側にはいつも見舞客が来ていて病人と大きな声で会話をしている。看護師たちが忙しくバタバタと音をたてて動きまわっている。朝は早く起きて静かな場所に移動することができるが夕は中々祈りの時が持ちにくかったが、約4カ月間毎日病室に寄ってくれた兄と二人で祈りの時を持った。序々に看護師たちにも理解され、検査や検診に優先して祈りの時間の確保のために協力してくれたが、聖堂で教会に遣わされた聖職と家族の方々が朝夕の礼拝をささげられることは教会全体の喜びである。入院中、日々教区内外で小生のために祈りをささげてくださっていることも実感できて、毎日毎日感謝の祈りをささげ幸福感を味わうことができた。 日本聖公会は決して大きな教会とはいえない。しかし、皆さんの祈りは大きな大きな力であった。朝夕の礼拝を終えて、欅の坂道の頂きに立って出席者たちが交わす挨拶は明るい。神と人々に仕える一日のスタートである。信徒一人一人の消息が語られることもある。「今日この人を訪問して来たい」との声もしばしば聞く。 信徒の皆さんも是非それぞれの家にあって短い祈りをささげ一日をスタートしてほしい。それを続ける時、感謝と喜び、また幸福感を日々実感なさることでしょう。皆さんの教会でも聖職方は日々覚えて祈っておられるでしよう。 |
(「欅の坂みち」欄) 主教 ヤコブ |
片倉もとこ著「イスラームの日常世界」(岩波新書)の読書会を、有志で始めています。著者は、日本でも著名なイスラーム文化の研究家です。幅広い暖かい視点で、私たちの知らないイスラームの実際の生活を、本当に分かりやすく紹介してくださっていて感激しました。 沖縄宣教研究協議会主催の講演会に著者を招くことになりました。非常に著名な方で、来てもらえるか不安がありましたが、私の友人を通してお願いしてもらったところ、「私は沖縄が好きですから参りましょう」と、快く引き受けてくださいました。来年の3月中旬に来てくださる予定です。良き準備をしてということで、読書会を始めています。お越しください。 第1回は、第1章を読みました。イスラーム社会の原点は、人間は弱い存在だというところから出発します。−性弱説− だから、神の掟に従って、できるだけその弱さを互いにカバーできるような生き方が大切です。禁酒も女性のべールも誘惑に弱い人間を守るものです。 それに対して、近代西欧社会(日本人も)は、人間は強い存在で、望むことは何でも適えられるという人間中心の生き方です。神の働く領域は狭められ信仰心も小さくなっています。−性強説− イスラームを鏡にすると色んなものが良く見えて来ます。特に、日本人キリスト者の信仰の有無が、良く見えます。(「マイター・ボックス」欄) |
主教 ダビデ |
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