教区代議員として出席したので、その模様を報告せよ、ということですが、特に、発言することもなく総会の末席をけがしただけの私が報告をするのは、いささか気がひけますが、総会で感じたことを「印象記」として報告します。
総会ですから、北海道教区から沖縄教区まで日本聖公会の11教区から主教議員・聖職・信徒代議員ら55名が出席して開かれ、3日間で17件の諸報告と43件の議案が審議され、それぞれ処理されました。しかし、教団として、次の総会までの向こう2年間の日本聖公会の宣教活動をどのように展開し、福音を広めていくのかという、宣教方策は何も示されず、協議もされませんでした。
だから、総会の決議を踏まえて、これから教区に帰って「さあ、福音・宣教のために頑張るぞ」という、熱意やエネルギーを感じることができなかったのは私だけだったでしょうか。
たしかに、総会というのは、多かれ少なかれ、形式的で、諸委員会の活動報告だとか、予算・決算など規則で定められたことを手続きどおりに処理するだけのセレモニー的な要素が強いものです。
しかし、不況や経営不振によるリストラなど、厳しい状況にある昨今の企業や団体の総会はそんなことでは乗り切れない。経営不信の反省と検証の上に立って、経営や組織を立て直すための次年度の活動方針をしっかりと確立し、全組織を挙げて再生に向けて活動を始めるのです。これは、企業だけの問題でしょうか。総会の冒頭で首座主教は「日本聖公会の信徒の数が少ないことを痛感した。福音と宣教のために、私達にはいま、伝道させてくださいという、祈りのみが必要である。全力を尽くして御言葉を伝えること。為すべきことはそれだけである。要は、やる気かあるかどうか・・・」と、叱咤されました。
信徒の高齢化がすすむ反面、教勢は落ち、信徒は増えないという現実に苦悩しているのが聖公会の現実です。ならばこの厳しい現実を再生するために、我々はいま、外に向かって何かをしなければならないことは、首座主教のメッセージで明らかです。生き残りを賭けて頑張る企業や団体と何も変わるところはありません。
そういう、厳しい現実がある中で、十年一日の如く議案の大半が法規や規則の一部改正だとか予算案審議など、内向きの組織の運営にかかわることにのみ関心が集まって、外向きの活動方針がなおざりになると、外に向かって活動しない“内向きの仲良しクラブ”の体をなす。私は、総会にそれを感じたと言ったら、言い過ぎでしょうか。
もとより、組織である以上、総会での諸案件の事務的な処理は必要です。同時に、それ以上に公会の平安進歩のために、最高の議決機関である総会が宣教活動の指針を示すことは神のみ旨に適うことだと思うのですが・・・。一人よがりの書生論でしょうか。
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